過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【談玄(だんげん) 水雲(すいそう)を あびる】2025.8.26

【談玄(だんげん) 水雲(すいそう)を あびる】2025.8.26

この世の争いは絶えない。戦争も分断も続き、深みにはまっていくようだ。

日本もいずれ巻き込まれそうだ。

人々は憎悪や排他が大きな流れになるのかもしれない。

なぜ、このように人間たちは争い互いに苦しめあっていくのか。それを一つのスピリチュアルの視点から探求してみたい。

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国際経済や戦争などの背後には、強大な国家のアメリカの意向や、その背後には軍事や医療の利権、さらにはその背後には「国際金融資本」のネットワークがあるのかもしれない。

イルミナティ」など、陰謀論で語られる勢力の存在も考えられる。しかし、どこまでが陰謀論で、どこまでが事実なのかを見極めるのは難しい。

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これは一つのスピリチュアルな仮説だ。

たとえば、人間を超えた「闇の勢力」の存在があるのかもしれない。

人間の分断、憎しみ、恐怖をエネルギー源とする生命体が、裏で支配を進めているのかもしれない。

人間に憎しみや恐怖を起こさせることで、彼らは勢力を増す。それは「ルシファー」や「サタン」、仏教でいう「第六天の魔王」など、さまざまな名前で呼ばれる存在だ。

それは人間を超えた大きな存在、あるいは人間の「集合的無意識」に根ざす働きなのかもしれない。私たちの生き方や行動のアルゴリズムには、そうした存在の影響を受けやすく、その受け皿になりやすい傾向があるのかもしれない。それは「憑依される」とも捉えられる。

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一方で、愛や許し、調和を促すエネルギー体も存在するかもしれない。愛や慈悲、天界の神々と呼べる存在だ。

いわゆる霊界では、人間の争いや憎しみをエネルギーとする存在と、愛や調和をエネルギーとする存在が争っているのかもしれない。そして、この人間界がその影響を受ける。

人間は、プラスとマイナスの両方の働きの影響を受けながら生きている、あるいはその受け皿として存在している。

自分自身の中にある自分を破壊しようとするエネルギー、自分を向上させようとするエネルギーともいえる。それらが連動しているのかもしれない。

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そんなことを川のほとりで友人たちと語り合った。あまりに暑かったので、川に入って水をかぶった。泳がなくても水につかるのは全身運動になり、マイナスイオンを浴びて心地よい。

4家族が来ていたので、それぞれの家庭を観察していると、夫婦円満だったり、そうでなかったり、子どもたちはみな個性的だった。

子どもたちは純粋で、冒険心や好奇心に溢れ、遊ぶのが大好きだ。子どもたちを見ていると、幸せな世界にいるんだなと感じる。子どもたちが楽しく遊べる世界、大人や親たちが交流できる場所。そこに、幸せを感じる大きなヒントがあるのだろうと思う。

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五言絶句

世路干戈絶:世路(せいろ )干戈(かんが) 絶え
人心憎愛分:人心 憎愛 分かれる
何如清渌裏:いずくんぞ 清渌(せいろく)の裏(うち)のごとく
談玄沐水雲:談玄(だんげん) 水雲(すいそう)を あびる

解説

1. 世路干戈絶(せいろ かんが たえ)

「世の道中(世路)では戦い(干戈)が絶えることがない」。
「干戈」(盾と矛→戦争)。

1. 人心憎愛分(じんしん ぞうあい わかれる)

「憎」と「愛」という人間の感情の根本的な分裂(分)に原因を求める一句。ここでは経済利権や陰謀論といった外的要因ではなく、人間の内面(人心) に焦点を充てる。

1. 何如清渌裏(いずくんぞ せいろくの うちのごとく)

言葉の意味: 「(上の争いや分裂の世の中など)どうして、清らかな流れのほとりにおけるような境地に及ぼうか」(=及ぶはずがない、とてもかなわない)。

混沌とした世界とは対極にある場所、「清渌(清らかな川の流れ)」。これは争いのない清らかな心の状態、スピリチュアルな「浄化」の象徴。この句は、「浊世」(濁った世)と「清境」(清らかな境地)という対比の構図を使っている。

1. 談玄沐水雲(だんげん すいそうを あびる

「深遠な哲理(談玄)を語り合いながら、水の気と雲の気(水雲)を浴びる」。

沐水雲: 「水をかぶる」という行為を、単なる「水浴び」ではなく、「水雲を沐(あび)る」という詩的で精神性の高い表現に昇華。「水雲」は自然界の清らかな気(エネルギー)、つまり「マイナスイオン」や「清浄な気」の比喩。

濁世の外に出て、清らかな自然環境の中に身を置き(清渌裏)、世俗を超えた深遠な話に興じ(談玄)、自然の持つ浄化のエネルギーを全身で受け止める(沐水雲)。これこそが、世界の争いや人心の分裂に対する一つの答え=「自然への回帰と精神的探求による浄化」 であると示唆。

陰謀論や超自然的な勢力の存在に言及しつつも、最終的な答えを「水雲を浴びる」という極めて身体的かつ精神的な体験に求め、「自然と語らいの中にこそ、争いを超えるヒントがある」という意味を込めた。

七言律詩

干戈絶間世途窮 憎愛交差人心中
背後權謀暗潮湧 表層議論虚花濃
魔緣宿業第六天 神縁慈悲清浄風
渌水談玄一時涼 童子無心遊嬉楽
水雲沐得身心浄 還帰本処自然空

干戈絶間(かんが たえま)なく 世途(せと)窮(きわ)まり憎愛(ぞうあい)交差(まじわり) 人心中(じんしんのうち)
背後(はいご)には 権謀(けんぼう) 暗潮(あんちょう)の如く湧(わ)き
表層(ひょうそう)には 議論(ぎろん) 虚花(きょか)濃(こまや)か
魔縁(まえん)は 宿業(しゅくごう) 第六天(だいろくてん)
神縁(しんえん)は 慈悲(じひ) 清浄(しょうじょう)の風
渌水(ろくすい)に 談玄(だんげん)し 一時(いちじ)涼(すず)しく
童子(どうじ)は 無心(むしん)に 遊嬉(ゆうぎ)楽(たの)しむ
水雲(すいうん)を沐(あび)て 身心(しんしん)浄(きよ)まり
還帰(かんき)せん 本処(ほんじょ) 自然(しぜん)の空(くう)

現代語訳
世の争いは絶える間もなく、人々の心には憎しみと愛しみが交差する。その背後には権謀術数が暗潮のように渦巻き、表層の議論は虚しく華やいで見えるだけだ。

魔縁は宿業のように第六天の魔王の如く、神縁は慈悲の清らかな風のごとし。川辺で深い話をし一時の涼みを得て、子供たちは無心に遊び楽しむ。水と雲の気を浴びて心身は清められ、本来の自然の空へと還っていく。

水辺の清涼と心の探求、そして子供たちの無心の遊びを通じて、争いの世界への疑問と、清浄な自然への回帰の願いを詩にした。


「虚花濃(きょかこまやか)」:「虚花」は咲いても実のならない花、はかないものの喩え。「濃」はここでは「盛んである」「華やかである」という意味。

「還帰本処(かんきほんじょ)」:「本来の居場所(あるべき状態)に帰る」。