過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【いまに生きる:7日間のヴィパッサナー体験】2025.8.16

【いまに生きる:7日間のヴィパッサナー体験】2025.8.16

いまに集中する。それがヴィパッサナーだ。
そのヴィパッサナーを7日間、体験してきた。
おかげで心境がとても落ち着いた。
暮らしの中で「いまに生きる」ことのポイントが少しずつ掴めてきた。
  ▽
参加者は50名余り、ボランティアスタッフは15名だった。

今回は瞑想が初めての人や若い人が中心だった。私は高齢ながら瞑想会は初参加で、ありがたくも参加させてもらえた。20代や30代が多かった印象だ。

海外からの一時帰国者、熊本からの参加者、曹洞宗の僧侶、AIエンジニア、物理学の研究者など、実にさまざまな人がいた。
瞑想中はおしゃべりがしないため、「どこから来て?どんないきさつ?なにをしている?」など、まったくわからない。

最後の40分ほどの交流会で自己紹介を通じて初めて知った。
この交流会は私の提案で催させてもらったので、私が司会することになった。若い人がヴィパッサナーをどうとらえて生かしているのか、新鮮に感じられた。

 ▽
参加費はドネーション制。会場は熱海の仏法学舎。
昨年リニューアルしたばかりの広さ約100畳の本堂と、昨年新築された宿舎だった。
スケジュールは、朝5時からのお経、朝食、11時からのお経、昼食、17時からのお経、そしてスマナサーラ長老の法話というスケジュール。

スマナサーラ長老の法話は無我の教えを基盤にした、誠に深遠な内容だった。

「また会いましょう」ではなくて「また会いません」──それが仏教です、という言葉が印象的。

私も相手も瞬間瞬間に変化している。自分も相手も次に合う時はもう違う人になっっている。ものごとは宇宙はすべて瞬間瞬間に変化している。そのことが気づくのが仏教であるという話し。
 ▽
食事はもちろん精進料理で、実に多彩で美味しかった。
食事もまた瞑想の良い機会となる。
座る、箸を持つ、つかむ、口に入れる、噛む、喉を通る、胃に入る――その一連の動作に意識を向ける。

こうして数日暮らしていると、もうネットを見ようとか、話をしようとも思わなかった。
ただただ「いま」に集中する。それがすごい体験だった。
 ▽
浜松の春野町にある我が家から仏法学舎まで、新東名を使えば、車で2時間半と近い。

しかも、毎月自主瞑想会があるという。来月も再来月も宿泊しての瞑想会に参加しようと思っている。

この仏法学舎とは42年前から関わりがあり、スマナサーラ長老とも40年来の縁がある。

しかし、これほど本格的にヴィパッサナーを実践したのは初めてだった。
もっと早くから(10年も20年も前から)実践しておけばよかったと反省しきり。しかしまた、こうして病を得たおかげで、はじめて「わがごと」とし取り組めた、という気持ちもある。

 ▽

ヴィパッサナーとは、「いまに集中」し、「いまに気づく」こと。すべてはここにつながる。それは最もシンプルで深遠で、そして最も難しい。

なぜなら、「思考」がすぐに働いてしまうからだ。「思考」は過去の記憶や未来の不安から生まれる。その「思考」や「想念」を外すことが、実に難しい。

だが、座る、立つ、歩く、食事する――すべての動作に気づきを入れることで、少しずつそれが可能になる。

では、「すべての動作に気づきを入れるにはどうしたらいいか?具体的にはどうしたらいいのか?」。そこが大問題である。

そのための瞑想合宿である。そのあたりは、また別の機会に投稿する。

『熱海禅七日』

其一
静坐熱海 朝霧深
無言堂上 百畳心
箸音亦是 菩提道
一瞬一生 貫古今

其二
新築宿坊 聚若衆
国籍職業 皆如雲
四十年縁 今在此
傾耳聴受 無我法

其三
「不復相見」 深意存
刹那刹那 日日新
忘機絶慮 食事中
禅味浸潤 入身心

読み:

其一
熱海に静坐す 朝霧深し
無言の堂上 百畳の心
箸の音もまた 菩提の道
一瞬一生 古今を貫く

其二
新築の宿坊 若衆聚まる
国籍職業 皆雲の如し
四十年の縁 今ここに在り
耳を傾け 無我の法を聴く

其三
「再会せず」 深き意味あり
刹那毎に 新たなり
ネット忘れ 食事の中にも
禅の味 身に沁み入る