過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【不思議な森の『自分』探し】2025.8.4

【不思議な森の『自分』探し】2025.8.4

「自分という観念」「自分という思い」は、おそらく途切れずに継続してきた。

物心ついてからずっと「自分」というものがあった。

深い瞑想や事故による脳震盪(のうしんとう)、深い眠りの時には「自分」というものがなかったかもしれない。
ともあれ、普通に理性が働いている時には、「自分」というものはずっとあった。
だから、これからもあり続けるだろうと思っている。
 ▽
では、この肉体が滅びたら「自分」はなくなるのか?

肉体に依存している「自分」ならば、肉体が滅びればなくなるのかもしれない。

肉体を生成している根源が「自分」であれば、肉体が滅びてもなくならないのかもしれない。

そうして、また新しい生命として誕生していくのかもしれない。いわゆる「輪廻」である。この自分にも無限の過去世があり、生死生死を繰り返してきたのかもしれない。そこは、わからない。
 ▽
しかしたしかに言えるのは、今この肉体に伴っている自分、肉体を持っている自分は「この人生だけ」ということだ。

「死んでから先はどうなるのか」

というのは、深遠で答えのつかめない探求課題である。

天国があるとか、浄土があるとか、来世があるとか、そういうことを安易につかまず、「わからない」ということを限りなく探求していく。