過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【動きながら瞬間瞬間休む】2025.8.2

【動きながら瞬間瞬間休む】2025.8.2

少し歩いたり動いたりするだけでも、体が辛く、心臓の鼓動が激しくなる。血中酸素濃度が下がる。
そのため、たとえば台所に行く際にも、ついでにあれこれまとめてやってしまおうとする。
ときにはベッドに横になる。横になって読書をしたり、iPhoneに音声入力で文章を書いたりする。 

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動いては休む。動いては休む。いまは「動きながら休む」方法を工夫している。

目的と結果という観点から、動きを観察している。

心の中で「こうしよう」という意図が生まれる。欲求が生まれる。そして、その目的のために行動する。
だが、目的に縛られ、ロックオンされると、疲れる感覚がある。だから、動きながら休む方法を工夫している。

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たとえば、「トイレに行く」という目的がうれば、「トイレで用を足す」のが結果であり、達成である。ま
た、用を済ませてから「自分の仕事机まで歩く」という目的が生まれ、「歩いて机に戻る」という結果が得られる。

これをさらに細かく見ていく。一つ一つの行為を細かく見ていって完了していくのだ。

動きを細かく観察すると、目的にとらわれない「行為そのもの」を捉えることになる。そこに休息が組み込めるのではないか。そんなふうに試行錯誤している。

こんな具合だ。

ベッドから起き上がる、はい完了。ベッドから足を下ろす、はい完了。立ち上がる、はい完了。右足を上げる、はい完了。右足を運ぶ、はい完了。右足が着地する、はい完了。左足を上げる、はい完了。左足を運ぶ、はい完了。左足が着地する、はい完了。

このように、行動の瞬間瞬間を細かく捉えて完了させていく。そうすると、細かな行為の瞬間瞬間で休息が取れるのではないか。

「トイレに行く」「冷蔵庫から水を取ってくる」「ゴミを捨てる」など、大きな目的を持つと、その過程は手段になる。目的を持つと期待が生まれ、期待が裏切られると不愉快になる。

だから、行動しながら休む。一つ一つの行為が目的であり、達成である。そういう生き方だ。まあしかし、なかなかうまく言葉化できない。

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原因と結果の観点から見てみる。

結果を求めて行動するが、行動そのものが結果であり、原因にもなる。結果が次の原因となり、次の行動につながる。
すべてがリンクしている。それを一つ一つ切り離し、一つ一つ完了させていく。そういう練習をしてみる。

「さてどうなるか」は、実践しながら観察していく。そこから行為が質的に変わるのかもしれない。

これは信仰でも教義でもない。原始仏教の理論を参考にしているが、「ブッダがそう言った」とか、「どの経典に書かれている」とかはまったく関係ない。

行動しながら疲れない、行動しながら休める生き方ができないか。

それを工夫し、細かな観察、緻密な観察を重ねていこうとしている。

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「行為」のことを書いたが、感情も同様だ。感情は自然に起きてくるものだ。

「怒ろう」「楽しもう」「悲しくなろう」と思っても、そうはならない。何かを縁にして感情が起きてくる。それが感情だ。だからコントロールは難しい。たとえば「怒り」を修めるのって難しい。

なので、感情が起きた時に、そこに気づいてそのまま完了していく。

「ああ悔しい」。その気持ちが起きた瞬間に、それで完了とする。

過去を思い返して悔しい感情が生じる。

「うまくいかなかったのは、努力が足りなかったから、タイミングが悪かったから、そもそもそれをしようと思ったから」と、いろいろ原因を考える。しかし、頭で原因を追わない。

起きた感情をそのまま受け止め、感じて、はい完了とする。

それを工夫し、細かな観察、緻密な観察を重ねていこうとしている。

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寂しいなら寂しい。イライラするならイライラする。そして完了していく。追わない。

そのことについて考えたくなったら、「よし考えるぞ」と意識してしっかり考える。できる限り妄想に流されないようにする。

そんなことで、思考が働かず、あっさりした状態になれるのか。それが可能なのか。

一番コントロールが難しいのは思考であり、マインドだ。その思考の生成過程を探求していこうとしている。