過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【86歳の職人が教えてくれたもの】2025.7.25

【86歳の職人が教えてくれたもの】2025.7.25

竹とんぼや紐で引っ張ってぶんぶん音を立てる木の玉など、「タダで持っていっていいよ」と言う。

浜松市天竜区で毎月開催されている、「百古里(すがり)の十八番(おはこ)市」でのことだ。
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全部自分で工夫して創作した、子どもの木の玩具を売っていた。たまにここに来ると、面白い人に出会う。

おもちゃといっても、思考を磨くものがいろいろある。
「頭が良くなるおもちゃがある」と言って教えてくれたのが「ハノイの塔」だ。

3本の棒にサイズの異なる円盤がある。元の棒から別の棒にすべての円盤を移動させるパズル。
- 一度に1つの円盤しか動かせない。
- 大きな円盤を小さな円盤の上に置くことはできない。

9つになる娘のあかりは、興味を示してやってみたが、まったくできなかった。おとうちゃんも自信がない。

「エジプト起源のもので、ピラミッドを作るときの思考法につながる」のだとも言う。しかし、あとで調べると1883年にフランスの数学者エドゥアール・リュカが発明したものらしい。

ハノイの塔」は、アルゴリズムやプログラミングの入門教育で広く使われる。再帰的思考を学ぶための典型的な例として、コンピュータサイエンスの教科書に頻繁に登場するという。

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ともあれ、その方はとてもお元気で楽しそうだった。年齢を聞いたら86歳という。びっくり。「一日に縄跳び100回を3回やる」と言っていた。

「お仕事は何をされていたんですか?」と聞くと、「建具職人だよ」という。「俺たちの頃は戦争で空襲にあって、学校なんかなかった。空襲で防空壕に何度も逃げたよ」と。

「中学校を出て建具職人に弟子入りした。頭をひっぱたかれながら覚えてきた」という。

なるほどなあ。こういう木工などは、子どもの頃から弟子入りして体で覚えてくるのが一番。

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日本という国は、こうして子どもの頃から丁稚奉公で叩き込まれてやってきた国なんだ。藍染も大工も石工も左官も鍛冶屋も、ほとんどみんなそうだったろう。

つまり、筋金入りの本職の玄人(くろうと)が作ってきたのが日本という国だったのかもしれない。

それが、高度経済成長でみんなが都会にやってきて、工場労働で大した技を磨くでもなく、ローテーションの一部だけ。そして、製造法もオートメーションの制御装置が作ってきた。

今の大工にしても、新建材をビスや巨大なホッチキスで打ち込むだけみたいな話だ。かつての時代と比べると、みんな素人(しろうと)なのかも。

「ものづくり大国日本」などと言っていたが、手先のものづくりは子どもの頃にほとんど体験していない。わたしなどもそうだ。

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かつて東南アジアをよく旅して、いろいろな店を見て回るが楽しかった。
インドでは、銅を叩いて叩いて伸ばして丸くして、それに錫を流し込んで綺麗に作り込んでいた。
ネパールでは、少年がクルマのタイヤを轆轤で回して壺を作っていた。
ベトナムでは、ビスと針金を上手に結びつけて見事はバイク(ハーレー)のおもちゃを作っていた。これらの手作業は見ていてまったく飽きることがなかった。

ああ、また旅をしたいものだが、身体がそれを許さない。身近に出会う、豊かなワザをもった方から、いろいろ教えてもらうのがいい。さがせばすごい人がこの山里にはいるのだから。