過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【自分たちは正しいという人とのコミュニケーションは難しい】2025.7.14

【自分たちは正しいという人とのコミュニケーションは難しい】2025.7.14

「貪欲がなければカルトにはまらない」と言う人がいるが、それは違う。
貪欲とは向上心、つまり「もっと高めたい」という心のことだ。
貪欲は信仰対象や「もっと学びたい」「もっと向上したい」という方向に向けられている。
むしろ、この向上心があるからこそ、カルトにはまると言える。
教義を学ぶのは、向上心や求道心に支えられているのだ。

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そして、その背後には「恐怖心」がある。「恐怖心」でしぱりつけられている。

信仰や活動を続けると、必ずと言っていいほど「現証」(目に見える成果)が出る。
それはどんな宗教でも、確実に「現証」が出る。
祈ればそれなりに叶う、それは事実である。ところが、現証が出るとは、逆に言えば、背けば「罰が下る」という「背反作用」が生じるということだ。

例えば、日蓮法華系では、「祈れば功徳がある」と言われ、実際にちゃんと南無妙法蓮華経といなえればそれなりに結果が出る。結果が出ないのは、祈りが足りないからだと指導される。

そして、もうひとつのポイントは、他の宗教(彼らが言うところの「邪宗教」)に接すると功徳が無くなると思い込まされることだ。「頭が七つに割れる」と言われる。
そもそも、日々勤行で拝む本尊には「供養すれば福があり、悩乱する者は頭が七つに割れる(「若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号」)」と書かれている。そもそもの出典は、中国の妙楽大師(湛然)の法華文句記にあることばだ。

そのため、かつての学会員などは鳥居の下をくぐらず、修学旅行で国宝級の寺院にも入らない。
ここでダブルバインド(矛盾するメッセージによる束縛)が発生する。この段階で、頭の構造は「この宗教が絶対だ」と固定化してしまう。

「他の宗教はダメだ」「程度が低い」「真理を理解していない」と考えるようになる。
自分たちは正しい、真理を理解しているという思い込みが生まれる。
たとえ自分が完全に理解していなくても、開祖や指導者が真理を理解していると信じる。
「とにかく自分たちは正しい」「自分たちは絶対だ」という思いに凝り固まる。

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そこで思考は停止する。
そして、本人たちはそのことに気づかない。なぜなら、「自分たちは絶対に正しい」と信じているからだ。
「自分たちが真理を握っているから正しい」と疑うこと自体が許されない。疑問を口にすれば、「ちゃんと教義を学べ」と言われる。
学べば、そこに答えがあるとされる。
こうして価値観は固定化し、それが10年、20年、30年と続く。
さらに、その価値観は子どもたちにも受け継がれていく。
こうした人々の、いわゆる「洗脳」を解くのは非常に難しい。

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なぜなら、それは彼らが築き上げてきた人生そのものを揺さぶることになるからだ。
当然、強い抵抗に遭う。
相手は自分の人生が否定されると感じ、批判してくる相手に対して反論する。
それが「教えを守るため」と信じているからだ。
特に日蓮法華系の人たちは、「批判する人たちは魔の働きであり、自分たちが正しいからこそ魔が競い起こる」と信じている。

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日蓮自身がまさにそうした人物だった。
「自分たちは絶対に正しい」という思い込みが揺らがない人とは、かくしてコミュニケーションが成り立たなくなる。
これはカルトに限らず、社会一般の価値観にも通じる話だと思う。