【探しものは自分の中にあった】2025.6.1
あるある、でも絶対ありえない話
コンタクトレンズって、よく失くす。
外すとき、どこかに飛んでいってしまうと、もうどこにあるかわからない。
朝、つける前にこすり洗いするんだけど、うっかり水で流してしまうこともよくある。
この前、さあ洗おうとコンタクトのケースを台所に置いたら、うっかり倒してしまった。中のコンタクトが台所に落ちた。
「うわっ、ない! ない!」
なんとか一枚は見つけたけど、困ったな、片目だけじゃ。
仕方なく、古いコンタクトでしのぐことにした。
それにしても、どこに行ったんだろう? 朝も夕方も、懐中電灯を使って探してみたけど、やっぱり見つからない。もう諦めた。
そして、翌日。
外したコンタクトが、なんだか妙に分厚いことに気づいた。
「ん? 厚いな…。」
よく見たら、なんと二枚重なっていた!
二枚重ねのまま目に入れていたのだ。
失くしたと思っていたコンタクトは、実は目の中にあったというわけ。
いくら探しても、見つかるはずがないよね。
しかし、どうして二枚重ねてしまったのか、今でもさっぱりわからない。
ともあれ、「ない、ない!」と探していたものが、実は自分の中にあったなんてのは、意外とたくさんある気がする。
※この話は、夕方、あかりがクルマの中でシャープペンのキャップをなくした。懐中電灯で一所懸命に足元を探していた。そしたら、お尻の下にあった。
それを受けて、「おとあちゃんはね」と話したことから始まる。あかりが、「それFacebookに書いて」と言うので。
鏡中迷
失鏡窮探燈下求
朝流台落独目愁
卸訝厚増二重現
原在眸中自不知
「現代語訳」
無くしたレンズを必死に探し
朝流し台所に落とし片目で愁う
外すと妙に厚く二重と判明
元々目の中にあると気づかず
「解説」
「燈下求」懐中電灯で探す様子
「独目愁」片目生活の不便さ
「二重現」意外な発見の瞬間
「眸中自不知」が詩の眼目
探し物が実は自分の中にあった。「原在眸中自不知」は、人生の様々な探求にも通じる示唆を含む。