過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【風塵一笑 人間劫火煙】2025.5.1

【風塵一笑 人間劫火煙】2025.5.1

「どちらが先に死ぬかわからないから、顔を見に来たよ。お互い体調が悪いしね」
静岡に来たついでに、K寺を訪ねた。

立派なお寺で、本堂はすっきりと荘厳。内陣の両脇には、グランドピアノとハープシコードが置いてあった。
Iさんとはもう長い付き合いだ。彼は国際的なNGO活動に長年携わり、ラオスに100以上の学校を建設し、200回以上も現地を訪れたという。

心不全で5月にバイパス手術を受けるという。
「それ危ないね、ほんとに死ぬかもしれない。私もいつの間にか間質性肺炎になって、余命が長くないんだよ」と話した。

「死ぬことにはまったく怖れていない。手術中に死んだとしても、それは幸いだ。もうやることは全部やってきたし、いつ死んでも思い残すことはないんだ」とIさんは言う。「来世はインドで生まれ、最底辺の人々を救うプロジェクトをしたい」とも話していた。

霊的な体験もたくさんしている。その話で盛り上がるところだったが、急に訪ねたのでお互いに時間はなかった。

「もしかしたらこれが最後になるかもしれない」と、がっちり握手を交わして別れた。
  ▽
その後、施術してくれたT先生は、「来世はもう人間に生まれ変わらない」と言っていたし、鉱石とホツマツタエを探求し治療してくれたI子さんは、「来世は風になる」と言っていた。

風もいいな。自由自在に動けて。でも、あまりに自由すぎると、またこの自由な肉体を持って生まれ変わりたいなんて、私なんかは思うことだろう。

芭蕉の「旅に病んでは 夢は枯野をかけめぐる」が、今いちばんしっくりくる。
ああ、あの頃は元気だったな、駆け回っていたなあ。もう無理だ。
元気に走り回る子どもたちに風のようによりそって、一緒に遊んでみたいな。そんな気持ちもある。
  ▽
互病不知誰後先:互いに病みて 誰か後(のち)なるを知らず
風塵一笑握別天:風塵一笑(ふうじんいっしょう)にて 天に別(わか)つ
来世願為雲外客:来世は願わくば 雲外(うんがい)の客となり
不踏人間劫火煙:人間の劫火(ごうか)の煙を 踏ますとも

1句:「お互い体調が悪く、どちらが先に逝くかわからない」という切迫感を凝縮。
2句:「風塵(世の荒波)を笑い飛ばし、天に別れを告げる」=Iさんとの強い握手と覚悟。
3句:「来世は(風よりさらに超えた)雲の上の存在になりたい」と昇華。
4句:「もう人間界の苦しみ(劫火)には関わらない」という解脱の境地。