【「死後のこと」「死後の転生」について】2025.4.16
いつも私のFacebookを読んでいるあかりが「近頃のおとうちゃんはブッダのことばかり書いていて、難しくてちっとも面白くない」と言っていた。
たしかになあ。哲学的になると、俄然難しい。日常の暮らしに出来事を書いていったら面白いことは、たくさんあるんだけど。
まあ、いまのマイブームでブッダについて探求は続けていく。
とくに、「死後のこと」「死後の転生」についてだ。
わからないからこそ、こうして書きながら考えを整理している。
しかし、わからないなあ。死んだらわかるのだろうか。いや、死んでもわからないように思う。
悟ればわかるのか。悟ることはきっと難しいので、おそらく永遠にわからない。
それでも、こうして書くことによる探求は進めていく。書けば書くほど、わからないことが増える。けれどもこうした探求そのものに価値があると考えている。
※スリランカのラーフラ長老の論文を参考に整理してみた。(『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ著、岩波文庫)
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①生きている、存在しているということは、心的・肉体的なエネルギーの組み合わせによって成り立っている。
②瞬間ごとに、心と肉体は統一性や同一性を保つ。心がそれらをまとめている、あるいは、心と肉体を統合する何かがあるとも言える。
③「自分」という意識が、心と肉体をまとめ上げているとも考えられる。
④心も肉体も絶えず変化している。条件によって変化し、同一のままであることはない。細胞が新陳代謝するように、毎瞬、生まれては死ぬを繰り返す。各瞬間ごとに私たちは生まれ、死んでいるとも言える。それでも、私たちは継続する。
⑤ならば、魂といった永続的・不変の実体があるから自己は継続しているのか。それとも、そうしたものはなく夢とか妄想でしかないのか。しかし、この生がちゃんとある。継続している。
⑥心と肉体をまとめ上げるエネルギー(すなわち「自分」)には、「もっともっと」という意志、意図、欲望がある。存在し、継続し、増大しようとする力だ。それは「生存欲」とも呼べる。ブッダが「渇望」と呼んだのはこれか。
⑦死とは、「生存力」が失われた状態である。肉体全体の機能が停止することだ。
死によって、心と肉体をまとめていたエネルギーも消滅するのだろうか。
⑧「生存力」がなくなって肉体が機能しなくなっても、「生存欲」は残る。そのエネルギーは死なないともいう。
⑨そのエネルギーは別の形で現れ続け、再存在や再生を生み出す。死後に再び存在し、再び生まれるのは、「生存欲」があるためだ。こうして、死後の生命は輪廻転生していく。
⑩しかし、永続的・不変の実体は存在しない。ある生から次の生へと生まれ変わる永続的・不変なものは何もない。ブッダはそう説いた。
⑪しかし、自己や魂といった永続的・不変の実体がないのなら、転生はありえないのではないか。転生があるとしたら、何が再び存在し、再び生まれるのか。
⑫それは「私」という妄想が続くのか。
⑬それは、夜通し燃え続ける炎のようなものか。夜を通して同じ炎ではなく、別な炎でもない。
⑭ここで死に、別の場に生まれ変わった場合、それは同一人でもなければ別人でもない。同じ連鎖の継続ということか。
⑮そうだとしたら、次の生を条件付けるものはなにか。根性のカルマ(身体行為、言葉、意図)によるのか。そして、この生の最後の思考瞬間に総まとめとなって凝縮するのか、そうだとしたら、その最期の思考瞬間が次の生を条件付けるのか。