【ブッダの説く病の起こる原因】2025.4.10
ブッダは、「業(カルマ)」と「病」の関係を、どのように説明しているだろうか。
「衆生は業の相続者であり、業の生まれであり、業を縁とし、業に帰する。どのような業を行うかによって、彼らはその結果を受けると私は説く。」『サンユッタ・ニカーヤ』10.3(Cūḷakammavibhaṅga Sutta、小業分別経)
(原文パーリ語: Kammassakā, bhikkhave, sattā kammadāyādā kammayonī kammabandhū kammapaṭisaraṇā. Yaṃ kammaṃ karonti—kalyāṇaṃ vā pāpakaṃ vā—tassa dāyādā bhavanti.)
行為(業)がその人の未来の状態を決定づける。病気もこの「果報」の一つとして現れる可能性がある。今生のカルマ(業)として病を得ることも有るし、過去生のカルマが現れることもある。
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心が身体に影響を与える。
「心がすべての法を導く。心がそれらを作り出す。もし人が汚れた心で語り、あるいは行うならば、苦しみが彼を追う。車輪が牛の足跡を追うように。」『ダンマパダ』1-2(Yamakavagga、双要品)
(原文パーリ語: Manopubbaṅgamā dhammā, manoseṭṭhā manomayā. Manasā ce paduṭṭhena bhāsati vā karoti vā, tato naṃ dukkhamanveti, cakkaṃ va vahato padaṃ.)
汚れた心(怒りや執着)が行動を導き、その結果として苦しみ(病を含む)が訪れる。心の乱れが業を生み、それが身体的な不調に繋がるという因果が示唆される。
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「世尊よ、すべてが過去の業によるものですか?」仏陀はこう答えまい。「シヴァカよ、ある人々はすべての病や苦しみが過去の業によるものだと言うが、それは極端である。病には胆汁(Pitta)、痰(Kapha)、風(Vāta)の不調和、季節の変化、外的要因、不注意など、さまざまな原因がある。業もその一つにすぎないと私は説く。」
『アングッタラ・ニカーヤ』3.99(Sīvaka Sutta、シヴァカ経)
(原文パーリ語の一部: Na kho, sīvaka, sabbaṃ kammasamuṭṭhānanti vadāmi… Bāhiraṃ, utupariṇāmaṃ, visamaparihārajā…)
業は病の要因の一つであり、他の自然的な要因(体内の不調和や外的環境)も関与する。業が病に影響を与える場合もあるが、それが全てではない。
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業を乗り越えるための実践はどうだろう。
ブッダは言う。「私は過去の業をただ受け入れるのではなく、智慧と瞑想によって心を清め、苦しみを超越した」。
『マッジマ・ニカーヤ』36(Mahāsaccaka Sutta、大サッチャカ経)
(原文パーリ語の一部: Na kho panāhaṃ, saccaka, kammavādaṃ vadāmi… ñāṇena ca paññāya ca…)
病を含む苦しみが業に起因しても、いまここに気づく瞑想(サティ、ヴィパッサナー)や八正道の実践を通じてその影響を軽減し、心の平穏を保つことが可能と。
『病因観』
業縁生衆苦:業縁(ごうえん)衆苦を生じ
心穢病随蹤:心穢(しんえ)にして病蹤(したが)う
三毒煎其身:三毒 其(そ)の身を煎(せん)し
四大失調容:四大 調(ととの)わざるの容(よう)
非独因宿業:独り宿業(しゅくごう)に因るに非ず
風火亦相攻:風火 亦(また)相攻め
正念澄心地:正念(しょうねん)心地を澄まし
安然対病悩:安然として病悩に対す