過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【高き障壁 深き業 広がりはまた其処に】2025.3.31

【高き障壁 深き業 広がりはまた其処に】2025.3.31

名古屋から私のブログを読んで訪ねてきてくれた。彼は36歳で、3人の子育ての真っ最中。若いと何でもチャレンジできていいなあ。そして、子どもが三人もいるなんて、すごいことだ。
仕事は航空管制官をしていたという。航空管制官として働くには、国土交通省航空保安大学校で専門教育を受け、国家公務員試験に合格し、さらに実地訓練を積む必要がある。英語力(特に航空英語)や無線通信の技術が求められる、かなり緻密な仕事だ。
しかし、このまま公務員として働き続けるのは未来がないと感じ、転職を決意した。そして、この春から10人規模の零細企業で営業を始めるという。
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この10人規模の会社って、なかなかいいと思う。営業から製造、販売、経理、広報、販売促進、事務処理まで、何でもこなすことができる。会社というもののあり方がよくわかるようになる。
私は大企業に14年ほど勤めたが、一部門のことしか理解できなかった。ドイツやイギリスに向けて製品を出荷したり、株式業務を担当したりしたけれど、会社全体がどんなシステムで動いているのか、どういうことをしているのか、その全体像はまったくつかめていなかった。
いい会社にいれば安定しているし、本社が日本橋にあるのもかっこいいと思っていた。いろいろな可能性もあった。ドイツへの転勤の話もあったが、惜しいかな断ってしまった。
仕事の内容はほとんどデスクワークで、数千種類の商品を数値化し、販売計画や輸出計画を立てるものだった。相手が海外の子会社なので、何でもこなさなければならなかったが、実のところほとんど理解できていなかった。
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数名の会社で何でもこなし、やがて独立していくのが、人生としては面白いと思う。
立正佼成会庭野日敬さんの自伝を読んだことがあるが、若い頃、働くにあたって「人の3倍の仕事をして、給料は人の3分の1でいい」と述べていた。
実際に庭野さんは炭屋で働き始め、商品の搬入から代金の回収までさまざまなことをやった。そのため店主に信頼され、店のことは何でも相談されるようになった。それで経営というものを肌で知ったのだ。安定した普通のサラリーマンとは大きな違いだ。
その経験があったからこそ、立正佼成会という巨大な教団を創り、組織運営を見事にできたのだと思う。
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とにかく好きな仕事をしないと深まらないし、広がらない。何より楽しくない。でも、私は会社員以外の人生なんて考えられなかった。自分の土俵がわからなかったし、そもそも何が好きなのかもわからなかった。自信もなかった。
たまたま会社を辞めるようになってから、やっと自分の道を模索し、迷い、流浪しながら仏教や宗教の仕事にたどり着いたのだった。そこから、仏教の編集や医学書の編集の道が開けてきた。なんとか貯金もでき、東京暮らしから田舎に移住したという流れだ。
私は仏教や宗教が好きで、探求に飽きるということがない。書くこと、発信すること、新しいことを企画するのが好きだ。これも飽きるということはない。そのためか、ネットワークはどんどん広がっていく。
ただし、次々と新しいことに挑戦するものの、続かない。飽きっぽい。
いよいよ「さぁこれから頑張るぞ」と意気込むときに、特発性間質性肺炎という指定難病になってしまい、身障者となり、余命も1〜3年とみられる。
もはや体力的にも難しい。いろいろと制約され、動きが取れない。まあしかしだ。ハードルが高ければ高いほど、深い仕事ができるようになる。そこからまた広がる。そう思うようにしている。


五言絶句《人生転機》


訪客自名城:訪客 名城より
壮年三子育:壮年 三子を育む
辞官尋活路:官を辞し 活路を尋ね
営業小舎生:営業 小舎に生く


七言律詩《無常航路》


名城来客壮年身
三子航空管制人
捨職求活春営転
零舎十工百事真
大社十四年働部
一門未識全社因
炭屋経営学三倍
仏縁編集路流浪
突罹難病身障至
高障深業広又新


(書き下し文)
名古屋より来訪の客有り
三十六歳 子三人
航空管制の官職を捨て
春より営業の職に転ず
零細企業十人ほど
諸事百般 身に付く
大社十四年働けど
一部門のみ知り得ず
炭屋に学ぶ経営の道
三倍働き 三分の酬い
流浪の仏教編集路
難病突然 身障に至る
高き障壁 深き業
広がりはまた其処に