過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

【水鳥が自在に移りゆく人生にあらず】2025.3.30

【水鳥が自在に移りゆく人生にあらず】2025.3.30

ひとつの羅針盤として読み込んでいるのは、「ダンマパダ」。ブッダの最古の古典層である。
そのダンマパダにこんな言葉がある。私の今の境地とはるかに遠いなあと感じつつ。  

「人生の路を終え、憂いを離れ、あらゆることに対してくつろぎ、束縛の絆から逃れた人には、悩みは存在しない。
いつも『いまここ』に気づいてリラックスしている人は、住居に執着しない。白鳥が池を立ち去るように、彼らはあの家、この家を捨てる。
財を蓄えることもなく、食物にもこだわらない。
その人々の解脱の境地は空にして無相だ。空飛ぶ鳥のようにその行く路(=足跡)は知りがたい。」(「ダンマパダ」90〜93 池谷の超訳
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水鳥は住むところに執着しない。あちらこちらと自在に移動する。まあこれが出家者の心得なんだろう。ものが少なく、場所に執着しない。あちこち移動しながら心を磨いていく。それがブッダの修行だろう。  

私といえば、ゴミ屋敷のようにものが増え、売れない土地と建物があり(火事で放置されていた神社の屋根までもらってきたくらいだ)、身動きがとれなくなっている。
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浄土宗のお寺からヤマギシ(無所有の原始共産コミュニティ)に「出家」した人がいた。鈴木俊隆老師(スティーブ・ジョブズが師と仰いだ禅僧)を求めてアメリカに渡ったものの、すでに老師は亡くなっていた。

そして日本に帰ってきた。彼はこう語る。
「自分は出家したとはいえ、大きな寺と土地と車とたくさんの財産がある。宗祖である法然上人は、ほとんどものを持っていなかっただろう。

また臨終の際には『私に遺跡などいらない。全国に念仏の声が起こるところこそが、わが遺跡である』と述べられた。」
そんなことで、彼はお寺からヤマギシの世界に出家したのであった。今でも持ち物と言えば、風呂敷包みに入るものしかない。下着、タオル、歯ブラシ、メガネ、その程度だ。生活に必要なものは、ほとんどみんなで共有し、きれいに洗濯・管理して使っている。
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私もそんな生活ができるかと言えば、全くできない。東京暮らし40年から春野町に移住して14年。最初に買った土地はほぼ2,000坪で、今暮らしている古民家である。
そこをベースにインドやバリ島に行こうとしていた。

ところが、田舎暮らし活性化の事業が面白くてNPO法人を立ち上げ、やがて62歳にして子が生まれた。それがあかりである。

そうなると、結婚生活と子育てという縛りが生まれ、不自由になった。しかし、そのおかげで人間らしい多くの学びを得ることができたわけだ。
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子どもが生まれたとき、古民家にカビが生えた。妻が「ここで子育ては難しい」と言った。そこで新しく気田に土地と家を買い、そこに移り住むことになった。  

あかりを肩車しながら、近くのデイサービスによく遊びに行った。あかりが来ると皆さんに喜んでもらえた。あかりもまた自由に動き回って楽しめた。

そんなご縁が生まれた。ある時、デイサービスから「これからやっていくのは難しくなった」という相談があった。「じゃあ、私が引き継ぎましょうか」ということになった。  

しかし、全くの素人であり、コロナ禍もあって経営も厳しい。妻が腎臓の手術をすることもあり、しばらくデイサービスは休業することにした。そして、私は編集の仕事に戻った。  

やがて、妻がコロナワクチンのシェディング臭に耐えられなくなり、ついには柔軟剤や芳香剤もダメということで、来客は家に入れず、土間で対応する暮らしとなった。  

私は日々いろんな人が来る生活スタイルなので、土間での対応は悩ましい。そこで、もともとの古民家に戻ることになった次第だ。春野に越してから、引っ越しは3回目となる。阿多古に移るとなると、5回目となるわけだ。  
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何しろ荷物はたくさんある。4トンロングトラックで10台以上はあると思う。だから荷物を置きっぱなしにして、パソコンと着替えくらいを持って移り、しばらくは2拠点居住となる。やがて軸足は阿多古になっていくと思う。  

その間、自分の命が持つのか持たないのか、それはわからない。わからないながらも、わからない道を何もわからないまま進んでいく。それが私の人生スタイルなのだ。

白鳥が跡を残さず、自在にあの家この家と移るような人生では、まったくないんだなあ。
それはそれで仕方がない。煩悩の塊である私を自覚しながら進んでいく。  

ともあれ、どこに行こうが人と人との縁は膨らんでいく。そこからまた新しいプロジェクトが起こり、新しい流れが生まれ、新しい発見がある。数珠つなぎの人生だ。  

健康であればの話だが。そこはなかなか最大の難点で、まあそれも自分の試練であり、神の計らい、気づきの修練なのだろう。

※以下はDeepSeekに作ってもらった漢詩

「五言絶句」

水鳥無蹤跡:水鳥(すいちょう)蹤跡(しょうせき)無く
浮生多繫累:浮生(ふせい)繫累(けいるい)多し
空門雖可慕:空門(くうもん)慕うべくと雖(いえど)も
俗縁自難棄:俗縁 自(おの)ずから棄(す)て難(がた)し

「七言律詩」

白鳥去来痕跡無 凡夫徒羨出家途
二千坪地縛身久 十四霜年埋骨初
稚子笑顔縁始結 病妻愁眉道転殊
空相雖悟難脱却 数珠繋ぎ是吾廬

白鳥(はくちょう)の去来(きょらい)痕跡無く
凡夫は徒(いたずら)に出家の途(みち)を羨(うらや)む
二千坪の地 身を縛ること久しく
十四霜年 骨埋(ほねうず)まること初(はじ)め
稚子(ちし)の笑顔 縁始(えんはじ)めて結(むす)び
病妻の愁眉(しゅうび) 道転(みちてん)じて殊(こと)なり
空相(くうそう)は悟ると雖(いえど)も脱却(だっきゃく)難く
数珠繋(じゅずつな)ぎ 是(これ)吾(わ)が廬(いおり)

【現代語訳】
白鳥は行き来しても跡を残さぬのに
俗人はむなしく出家を羨む
二千坪の土地に長く縛られ
四十年の歳月で根を下ろし始めた
幼子の笑顔で新たな縁が生まれ
病める妻の愁いで道は変転する
空の理は悟れども脱し難く
縁の連鎖こそ我が栖(すみか)なのだ

※構成の意図:
五言絶句では「水鳥の自由」と「世俗の縛り」の対比を凝縮
七言律詩では具体的な体験(土地・家族・病妻等)を盛り込みつつ仏教的無常観を表現
韻律:五言は「無・累・棄」で仄韻、七言は「無・途・初・殊・廬」で平韻統一
「数珠繋ぎ」の比喩で縁起思想を表現
尾聯で「悟りと現実」の矛盾を昇華