〈20〉【私の宗教・神秘・霊能体験】いのりということ 2025.3.19
デイサービスを経営していた時、利用者さんにAさん(当時96歳)という方がいた。女性で一人暮らし。とても穏やかで、ほとんどこだわりの少ない方だった。
Aさんは創価学会の会員で、毎日の勤行(法華経の一部を読誦し、「南無妙法蓮華経」と唱えること)を50年以上欠かしたことがなかった。
といってたも、特に熱狂的な様子ではない。身についた務めとして、水の流れるように安定した信仰を実践する方だった。こんなことを言われた。
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「お題目を唱えていたら、亡くなった夫が現れてきて、会話ができたような気がしたの。お父さん、私はまだそちらに行かないよ、と言っておいたわ」と、柔らかな笑顔で語っていた。
入信のきっかけは、「信仰したら結果が出る。日にちを決めて実践し、実験証明の結果が出たら入る」というものだった。百日間実践するうちに、ちゃんと結果が出た。それで「これは確かな信仰だ」と実感し、以来、半世紀が経つ。
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Aさんを通して、「祈る」という実践の力を感じる。
創価学会の力というのは、困難に遭うたびに祈りで乗り越えようとするところにあるのだろうか。その実践法が、本尊に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えるという「行」として、シンプルに定まっているのが特徴だ。「何か困難があったらお題目」と言うわけである。
では、祈って効果があるのかないのか、それは分からない。祈りによって人生の難しい問題を乗り越えてきたという人も多い。もちろん、そこには思い込みもあると思うが、思い込みが現実を動かすこともある。
創価学会には、組織や指導者、官僚的な側面、カネの問題、公明党の問題もある。独善排他や自讃毀他の心も強いが、それはまた別の機会に論じたい。
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ともあれ、信仰の核心は、自分で祈ることにあると思う。その点で、新興宗教は強い。
一方、伝統仏教はそこが弱いかなあ。檀家はたんに法事や儀式に参加するだけ。お寺を運営する住職本人に信仰心がなかったりする。自分で祈っていないのだから、他人に祈りの実践を伝えられない。神仏を拝むことを伝えられない。儀式は伝えられても、信仰は伝わらない。