過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

〈16〉【私の宗教・神秘・霊能体験】自分の音に怯える

〈16〉【私の宗教・神秘・霊能体験】自分の音に怯える 2025.3.17

どこからか得体の知れない音が響いてくる。決して止まない。ずしんずしん、どおんどおんと迫ってくる。
「やめてくれ、この音を止めてくれ」と叫ぶ。
その音はどこから来ているのか。

それは、実は自分自身の心臓の鼓動だった。
その男は絞首刑に処される直前で、まさに絞首台から落ちる瞬間、時間が極端に引き延ばされ、極めて鮮明な感覚が訪れる。その時に聞こえてきた音だったのだ。心臓の鼓動は彼の命が終わるまでのカウントダウンだった。
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幼い頃、深夜に誰かが廊下を歩いている音が聞こえた。その音は止まらず、だんだん近づいてくる。怖い。かけ布団を頭までかぶるが、音は止まない。

それは実は、自分の音だった。自分の心臓の脈動が首や頭に響き、そば殻の枕の中で、ガサッガサッと音を立てていた。その音を、誰かの足音だと感じていたのだ。そんな体験を今でも覚えている。
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心理学者のユングは、自分が提げていたカンテラの光で自分の影が山に映り、それに怯えたという体験を語っている。

「どこか見知らぬ場所で、夜のことだった。私は強風に抗してゆっくりと苦しい前進を続けていた。深い霧があたり一面に立ち込めていた。私は手で今にも消えそうな小さな明かりを守っていた。すべては、私がこの小さな明かりを保てるかどうかにかかっていた。不意に、何かが背後から近づいてくる気配を感じた。

振り返ると、途方もなく大きな黒い人影が私を追いかけてきていた。しかし同時に、怖くもありながら、あらゆる危険を冒してでも、この光を一晩中、風の中で守らなければならないと知っていた。

目が覚めた時、私はすぐにあの人影が『影入道』、つまり私が持って歩いていた明かりによって渦巻く霧に映った私自身の影だと分かった。また、この小さな明かりが私の意識であり、私が持つ唯一の光であることも理解した。
私の自分についての理解は、私が持つ唯一の宝物であり、最も偉大なものだ。暗闇の力に比べれば極めて小さく弱々しいが、それでもなお光であり、私だけの光なのだ。」(『ユングの生涯』河合隼雄:レグルス文庫)
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霊的な現象というのは、こうしたことが背景にあるのかもしれない。自分の心にある恐怖や不安が、増幅されて何かに投影される。

感性が研ぎ澄まされていると、それをリアルに捉えてしまう。それを幽霊や低級霊、あるいは神々だと感じることもありうる。
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その文脈で言えば、すべてのものが自己の投影であり、心の表れだと捉えることもできる。仏教の「唯識論」も、そうした考えに根拠があるのかもしれない。

基本は心が清らかであること、インテグリティがあること。嘘をつかず、誤ったことをせず、やるべきことをきちんとしていれば、どこにいても堂々としていられる。

それは仏教で「五戒を守る」という言葉で端的に示されていると思う。五戒を守ることが、自分を守ることにつながるとも言える。