過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

子を光に

【子を光に】2025.3.10
①『この子らを世の光に』という本
②子に光をではなくて、子を光に
③一隅において輝くことも同じ
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「『この子らを世の光に』という本があるんです。池谷さんを見ていると、昔教わった先生を思い出すのよ。その先生に勧められて読んだのが、まさにその本でした。」
──いいタイトル。そこにみんな詰まっていますね。
「〝この子に光を〟と〝この子を光に〟では、意味が全然違うのよね。」
──まったくですね。子どもを光とする社会にしなくちゃいけませんよね。
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昨日訪ねた古民家ギャラリー「マルカワの蔵」で、本島真弓さんとそんな話をした。
真弓さんが学生時代に読んだという糸賀一雄の本のタイトルが『この子らを世の光に』だという。
糸賀は「福祉の父」とも称される人物で、重度の知的障害者施設「近江学園」を設立し、障害のある子どもたちに寄り添い、彼らの可能性を引き出すことに生涯を捧げた。その思想の核心が、「この子らを世の光に」という言葉に表れている。
単に障害者に光を当てる(支援する)という意味ではなく、障害のある子どもたち自身を「世の光」として位置づけ、彼らが社会に貢献し、輝く存在であることを強調している。
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あかり(9歳)の子育てをしていると、あかりからまさに「灯り」をもらっている気がする。たくさんの学びを得ているよ。
ぼくは、一生自由に放浪するだけの人生だったかもしれない。でも、子どもを授かったのは奇跡で、まさに「神のはからい」だと思っている。
子どもがいることで、アンカリング(船をつなぎとめる錨)になっていて、不自由さや制限も生まれた。しかし、そのおかげで学びや楽しみ、人間としてのあり方を教えられている。いまもそうだが。
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あかりは母の生まれ変わりとも思っていて、「子育ては先祖供養」と感じている。  
死んでしまった先祖は、墓石の前でどれだけ拝んでも、通じているのか分からない。でも、自分の子どもを先祖の〝いのち〟の続きとおもうことにする。まさにそれは〝いのち〟のバトンリレーだ。
子育てこそが先祖供養。お盆やお彼岸にお経をあげるのもいいが、わが子と一緒に遊び、子どもから学ぶことが、先祖供養であり、自分の学びだと思っている。
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『照于一隅、此則国宝』(一隅を照らす、則ちこれ国宝なり)という最澄伝教大師)の有名な言葉がある。
伝統的には、「一隅(いちぐう)を照らす」と読まれている。  
でも、僕は「一隅において照る」とも解釈している。
自分が暗い場所に光をもたらすというより、自分自身が一隅にいて、そこで輝く。自分が片隅にいて、そこから自分で光を放てばいいんだと。
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漢学にあっては、「于」は「~において」と解釈できる。だから、それぞれが置かれた場所や境遇で、自分で光を放てばいいと。  
その「光」とは、知識、知恵、希望、愛情、ネットワーク、情報、技術、個性だ。すなわち自分を輝かせるもの。インド哲学でいう「アルタ」だ。  
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「子どもこそが光である」という社会こそが大切だと思う。子どもを教えること、知識を伝えることはすごく大事。
そして、大人が子どもの感受性、知的好奇心、無邪気さ、冒険心から学ぶことも、同じくらい大切だと思っている。