【ヴィパッサナー(自己観察・自己洞察)とメッター(慈悲)の瞑想法】
①両手を胸に当てて呼吸する
②息を吸うと胸が膨らむ、息を吐くと胸が縮む それを意識する
③メッター(慈悲)、過去の懺悔も行う
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ヴィパッサナー(自己観察、自己洞察)としての実践
両手で胸を抑えて、肺呼吸する。ここがポイント。
息を吸う。息を吐く、に意識を向ける。
吸うたびに胸が膨らむ、息を吐くと胸が縮む。これに集中する。
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メッターとしての実践
メッターとは慈悲。自分自身の悩み苦しみがなくなるように、悟りの光が現れるように念じる。そして、それを家族や親しい友人に広げる。縁のあった人たち。憎たらしい人、あるいは自分を憎たらしく思っている人にも。そして、先祖たち。さらには、この家や敷地にいる生きものたち、さらには目に見えない生命体(神々とか心霊的な存在)、そして生きとし生けるものと念を広げていく。
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懺悔(さんげ)としての実践
過去を顧みると、恥ずかしいこと、どうしようもないこと、人を傷つけたことなど、たくさんが蘇えってくるよ。よくぞまあ、こんな自分を許してくれたものだ、我慢してくれたものだ、と。それを懺悔する。完了する。
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ヴィパッサナー、メッター、懺悔というかたちで、あんまり厳密にはならず、ときに応じて心に現れたことを念じ、気づいていく。ともあれ、「呼吸」に気づくこと。常にそこに立ちもどる。それが基軸。
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私の場合は、間質性肺炎のために深い呼吸ができなくなってきている。なので肺を動かす筋肉(横隔膜や肋間筋)が衰えてくる。それで回復のためにも、肺呼吸をしている。
多くの人は、お腹を押さえて、お腹が膨らむ・縮むってやったほうがやりやすいかもしれない。あるいは、体ぜんたいが膨らむ・縮むに気づくなど。
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ポイントは、両手を胸に当て、やわらかに押して胸の膨らみと縮みを感じていくこと。呼吸に気づくこと。「いまここの自分にいること」。「いまここにあること」。
生きているというのは、瞬間瞬間、いまここにいるということでしかない。だから、いまここに自分をつなぎとめる。思考によってあっちこっち、過去や未来のことにさまよわない。妄想の世界に行かないようにする。
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いつでもどこでもできる。寝ながらでもできる。私は寝る時にそれをやっている。起きるときも布団の中で。あるいは、コーヒーを淹れる時、水が沸騰する間みたいな時に、行う。さらには、クルマを運転する時、片手ハンドルで、左手で胸を抑えて瞑想する。あるいは、信号機が赤の時に瞑想する。
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やってみれば、即分かる。自分の心の静けさ、集中力、落ち着き、癒やされた感じ、心が他の生命にも広がっていく感じ。脳が休まった感じ。
まあ、そんな体験が、いつどこでも瞬時にできる。瀕死の病人もできる。まさに死にゆく人でもできる。