過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

主観主義が外れるとうまくいく

「主観主義が外れるとうまくいく」
①思いがとても強いと物事が実現されやすい
②思い、主観というものが、実現を阻むことがある
③客観的な物と物との組み合わせで進んでいくと観る生き方がある
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主観が外れるとうまくいく。ものごとの滞りが少ない。ストレスが少なくてすむ。
生きているということは主観であり、思いがある。
こうしよう、ああしようという思いがあって生きている。

そもそも行為の背後には必ず思い、意図がある。思いがなかったら人生は実現しない。
その思いがとても強いと物事が実現されるということはある。

この点、呼吸というものは思いがなくても、自然と行われる。思いをもって呼吸することもできる枢要な機能である。ここに瞑想のポイントがあるが、それは別の機会に。

ちなみに、心臓とか消化器官とか、思いとは関係なく、生きながられるためにせっせと働いてくれている。
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思い、あるいは主観というものが、実現を阻むということもあるのではないか。これは1つの仮説として言っている。

こうしよう、こうしたいという思いがあるとする。それは一つの出発点ではある。
けれども始まった瞬間に、物事はこれとこれを組み合わせてこういう角度で作るみたいになる。すなわち、1つの客観的なプロジェクト、客観的な物と物との組み合わせで進んでいく。

そうなると、そこに主観というものはわりと外れていく。外れたほうがうまくいくってことはある。
どうしてかなあ、ストレスが少なくなって集中力が増すからかもしれない。
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わたしはいま不治の病にかかっているけれども、なんとか治そうとか諦めない、何とかしようという思いはある。あるんだけれども、病気は病気として、客観的にこのように進行している。そのことを観察もしている。

このように薬が投与され、このように食事療法があり、このようにして肺の筋肉を衰えさせない呼吸法がある。一つひとつ客観的に観ていこうとしている。

朝の体験でいうと、室内は2℃だ。寒いから掘りごたつに炭を入れて温まろうとする。外に出て、消し炭を炭壺から出す。ロケットストーブに新聞紙とダンボールをいれて火をつける。マッチで点火する。燃えて炎が出る。消し炭に火がつく。その上で火吹き竹でふうふうと吹く。炭の火が盛んになり、豆炭やオガ炭にも火が燃え移る。それを炭入れにいれて、右足・左足と注意しながら歩む。そして、掘りごたつの中に入れる。この行為と動作を一つひとつ、わりと細かく客観的に行うことにしている。すべてをそうしようとしている。
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誰かが訪ねてくる。寒いから焚き火で温まろう。火を焚いて、まわりに椅子を置く。
ある話があれば、それに関連した話で乗っかってやり取りが進む。
事実を事実として語り、自分の思いは思いとして述べる。
客観的なデータあるいは体験、事実に基づいて、このように考えるということを伝えていく。
相手も自分の体験を持ち出して考えを述べる。

自分の思いは伝えるけれども、そこにどうこうしようとか人を支配しようということはない。あるいは怒りとか悲しみとか寂しさとか、投げやりなものはなるたけ外していく。
そうすると、コミュニケーションは滞らないのだ。(続く)