過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

学ぼうと思ったら文を書くこと

学ぼうと思ったら文を書くこと
①毎日文章を書く
②音声入力が便利
③メッセージを明確にすること
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毎日、完成度の高い文章を発信することを自分に課している。休まない。まあ、それは趣味というか日々のトレーニング。酒飲みは毎日、いくら疲れても眠くても酒を飲むようなものだ。

まず、形式を揃えてみた。
タイトルとポイントを3つという形式にする。俳句にしても、五七五という形式があるので、表現しやすいようになる。

文章を気楽に次々発信できることの1つは、GoogleDocumentの音声入力にある。パソコンに向かって音声入力をすることもあるし、iPhoneをポケットに入れて歩きながら入力することもある。クルマを運転しながらってこともある。

ひらめきとか発想はメモしておかないと逃げてしまう。書き止めておけばいいんだが、メモ帳はどこかに行ってしまう。読むのが面倒なこと。そこでやはり音声入力が役に立つ。GoogleDocumentは文字校正をしてくれるし、パソコンでざっと音読させれば文字校正しやすい。

あとは文の形を整えて磨きをかけることになる。
言いたいことをゴシックにする。順番を入れ替える。メッセージは1つをメインとする。いくつもメッセージがあるとややこしい文章になる。メッセージがたくさんあるときには、文章を切り分ける。
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文章を書くことのメリットはいくつもある。
まず第一に自分の頭が整理されること。

2つ目は物事をどのように切り取ったらいいかという見方で暮らすことになる。人生のドラマの切り取り方の訓練になる。それは、人生の楽しみが増えるということでもある。

3つ目は読者が増えていくことだ。いろんな出会いが増えることである。ネットワークが拡大される。そのことでまたいろいろな情報も得られる。出会いによってその人の生き方を通して学ぶことができる。それはそのまま人生の宝ということができる。
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学校教育でも、文章を書くということを軸にしていけばいいのになあと思う。

文章を書くことで学びができる。学ぼうと思ったら文章を書くのが一番である。

文章を書くとどこが足りないのか、どこにロジカルな流れが滞っているのか。ちゃんと伝わるかどうか。ちゃんと基礎的な知識が踏まえられているか。そんなことが見えてくる。だから学んでいこうという気持ちになる。

それはすなわちメッセージを明確にすること。相手に伝えるということ。いわばエバンジェリスト(伝道師、福音史家)になるということ。

エバンジェリストは、権威に乗っかろうとしない。教義だけでは人には伝わらない。自分の体験、自分の感じたことを素直に伝えられるかどうか。

ブッダを見よ、イエスを見よ。あるいはデカルトを見よ。かれらは権威に乗っかっていない。そして、だからわかりやすい。