頭がいいとか悪いっていうのは何だろう。
①何があっても、はいそこでおしまい。後にひかないっこと。
②主義とか観念とか教義を信じ込んで、そこから出られないと頭は悪くなる。
③自分の思いを外して、ひとつのプロジェクトとして組み立てるようにする。
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頭がいいとか悪いっていうのは何だろう。
偏差値のいい学校を出たとか、成績がいいから頭がいいということは、一応は言える。
しかし、それは試験の成績がいいというだけのこと。もちろんそのためには、相当の努力、思考力、集中力、生き方がベースにあるのだが。
偏差値が高いとか、いい学校を出たという見方ではなくて、別の角度から見てみる。
一つには、リテラシー(literacy)があること。リテラシーとは、特定の分野に関する知識や理解力、その知識を活用する能力。相手の言うことが、瞬時に理解できること。文章の内容が理解できること。それを適確に表現ができること。相手に伝えられること。
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成績が良くても、頭が悪い人はいる。
それってどうしてかなあと探求してみた。
ひとつは出来事に引きづられるから。それって遺体を背負って歩いているようなもの。
あるいは、なにか主義とか観念とか教義を信じ込んで、そこから出られない。そうなると、客観的な現実が見えない。
事実を客観的に認識できないってことは、すなわち、瞬時の判断、対応力が鈍いということ。「であるべきだ」にこだわると、現実に直面できない。いま起きている現実を見ていないのだから、固まって対処できない。いまここを楽しめない。躍動しない。
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私の学生時代、サラリーマン時代はそうであった。
ガチガチに頭でっかちで対応できなかったと思うよ。考えが先行して、変化する現実に対応できなかった。
それが、いつしか突破できるようになったんだなあ。
ひとつは、創価学会という呪縛を超えたから。日蓮の呪縛を超えられたから。いかにして超えられたかは、また別の機会に。
それから、インドの放浪は大きい。なにしろ、インドという国は、とんでもない現実が次々と起きるからね。それでひらめきとコミュニケーションで、乗り越えざるを得なかったから。いい実地訓練の場になった。人生が開いたきっかけだ。
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いまもっとも大切だなあと感じていること。
それは、何があっても、はいそこでおしまい。後にひかないってこと。
だって人生は、次々と予想もしない現実が押し寄せるてくるんだから。世界は無常なんだから。
「我」が減る、主観性が減る、すなわち客観的に物事が見られるということ。
それは、なにをするにしても自分の思いを外して、ひとつのプロジェクトとして組み立て。すすめらられるということ。
そうすると、理解力、発信力が増える。突破力が出る。コミュニケーションもうまくいきやすい。