過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

マナサーラ物語 師匠の思い出 ホロスコープ 通し番号124

スマナサーラ物語 師匠の思い出 ホロスコープ 通し番号124

※インド占星術などもよくインドで見てもらったことがある。西洋占星術もなかなか正確で厳密である。まあ、ときにいい加減なこともあるのだが。

インドで「あなたは60代でサマーディヨーガのマスターになる。70代でタントラのマスターになる」なんて言われたこともあった(笑 

ブッダは、「わが徒は、アタルヴァーダの呪法と夢占いと相の占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行ったりしてはならない。 」(スッタニパータ927 )
「師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。」(スッタニパータ360  )と。

以下は、スマナサーラ長老との雑談の中での話である。
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私にいろいろ教えてくれた先輩の僧侶はたくさんいますが、師匠というのは一人です。

スリランカでも大物でみんなが尊敬する方でした。
知識はあったんだけど、中学を卒業したということもない。学位のような資格はなかったんです。でも大学の顧問をしていました。大学のカリキュラム作りに参加していました。
大学の教授たちがお寺に来て「これはどういうことか」と聞きに来ていました。

いろいろと多彩な人で、何かやろうとするとサポートが必要ですね。私にその役を私に頼むんですね。私はサポートしながらその書類を学びました。

寺を改築するために早朝、一緒にセメントをこねるようなことも教えてくれました。
その指導はとっても厳しかった。静かにしろ、と叱るような人でした。

ただ「こうしろ」と命令されると、私はすごく腹が立つ性格なんです。相手がいくら年配であっても、関係ないんです。でも師匠とはそういう対立はありませんでした。他のお坊さんから「ここは汚れているからきれいにしなさい」と言われると殴りたくなるんです。

師匠は「この辺汚れてるんだから綺麗にしなさい」とは言わないんです。「この辺汚れてますね」それだけなんです。あとは自分で考えて綺麗にするんです。
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師匠はいろいろ教えてくれましたが、1つだけ教えてくれなかったんです。それはホロスコープ占星術)です。

インドやスリランカではホロスープが盛んです。スリランカの人はホロスコープの時間というのは、正確に守るんです。人が死にそうだと言って大急ぎにすべきところでも、大して構わない。しかしホロスコープの時間はしっかり守る。結婚式はこの時間、家を作るとき最初の支柱はこの時間にとか、しっかり守るんです。精密に時計を4つぐらい合わせてやるんです。

お寺でも人々を助けるため、相談に乗るといってホロスコープをやったりしていました。
田舎の人々も大物たちも来て相談するんです。
統計的な計算がとても必要です。私も計算くらいならやってあげましょうと手伝いました。
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ホロスコープを学んでも論理がきちんと成り立っていない学問ですが、色々計算が手間ですね。1日を秒に分けて計算しなくちゃいけない。1ヶ月で計算する。これとこれと西暦と合わせてゆく。なかなかめんどうでしょう。

人は何年何月に生まれたとしても、それを昔ふうに計算して、次の月によって逆に計算していかなくちゃいけない。朝3時に生まれたと言っても星占いの場合は朝の3時じゃない。別な時間になってしまう。朝というのは太陽が現れる次の日の太陽の光が入ったら朝です。

その日の太陽の光は何時何分に来るのかでチェックします。それも現代の時計じゃなくて古い60時間の時に計算しなくちゃいけないんです。
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師匠は、他のことは何でも教えてくれたんですけど、ホロスコープだけは私には教えてくれませんでした。なぜかわかりません。村には私と年齢の在家の友だちがいたんです。お寺に来て一緒に勉強したり遊んだりする。

長老は、その子に伝統的なホロスコープは教えていました。彼はやがて医者になったんだから、そんなものが必要かなあと思いましたが。

師匠は、お寺にいるお坊さんのホロスコープのためのバースチャートを書いて、一人ひとりにあげているんです。みんなはそれを宝物のようにして持っているんです。長老が直接書いたものですからね。

じゃあ私のバースチャートを書いてくれるかと思ったら、書いてくれないんです。毎年毎年の「アルカナック」という星の本があるんですね。その本には師匠の字で「スマラサーラがこの時間に生まれたと」と時間だけは書いてありました。

教えてくれなかったのは、多分私が向いてなかったのかもしれません。一番心配なことは、あなたこれやりなさいと言うと、私は一生懸命に徹底してやってしまうことです。そこを心配したのかもしれません。
師匠は私のホロスコープを見たと思いますね。だから私の取り扱いについてはかなり完璧にやっていたと思います。

厳しい師匠ですが、歳もとってくると、性格が変わって猫たちと遊んだり冗談を言ったりしていました。