※「戒律」についての④になる。「戒律をまもっていくというトレーニングを積んだことで、もう人格が変容している」という。いま実践中。さて、ど変容していくのか観察している。
以下は、スマナサーラ長老の話。
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◉戒律とは生き方であり、そこに抜け道はない
戒律というと、煩わしい決めごととか、なにか拘束するようなものにみえますが。戒律は、法律の条文とか指標ではありません。条文のようなものだと、いろいろな抜け道ができてしまう。
戒律は生き方そのものです。けっして抜け道はないのです。
模造品ですますことはできません。ご飯とそっくりでいかにも美味しそうなものでも、模造品では食べられません。それは、〈いのち〉の糧にはなりません。風邪を引いたとき、クスリのかたちをした白くて丸い錠剤を飲めばいいわけではないでしょう。
戒律は、目標とか条文のようなことではなく、生き方として身につけるまで、トレーニングとしておこなうのです。
そして、トレーニングだからラクではないんです。たとえば「嘘をつかない」という戒律を守ろうとすると、結構キツイなぁと感じますよ。だからこそ、トレーニングなのです。ラクではないのです。
「心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。——弓師が矢の弦を直くするように。」(ダンマパダ33)
「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。」(ダンマパダ35)
「心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。」(ダンマパダ36)
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◉戒律を守るトレーニングで人格が変容する
守れないこともあるでしょう。つい破ってしまうこともあるでしょう。でも、そのことに気がついて、守ろうとする。そしてまた破ってしまう。そしてまた、気がついて守ろうと頑張る。やがて「嘘をつかない」ということが、身について、自分の人生になっていくのです。そうなれば、二度と嘘をつくことはありえません。もう後戻りは効かないのです。
戒律をまもっていくというトレーニングを積んだことで、もう人格が変容しているのです。人間ができているのです。
「嘘をつかない」という戒律をしっかり守って身につけたひとは、「殺生をしない」という戒律も、自然と守ることになります。まったく「嘘をつかない」ひとが、殴ったり、危害を加えたり、殺生することはしなくなるのです。すでに人間ができているわけですから。
あるいは、「殺生をしない」という戒律を守ろうとする。日々、どんな〈いのち〉でも殺生しないようにトレーニングをおこなう。ときどき、やっぱり蚊ぐらいは殺してもいいんじゃないか、という気持ちになることもあるでしょう。
でもそのとき、「これはトレーニングなのだ。トレーニングとして頑張ってみよう」と、じっと我慢して不殺生をつづけていくのです。トレーニングをつづけていくと、次第に自分の人格が変わっていくことがわかります。殺生したくなる気持ちが、すこしずつ消えていくのです。
やがて、いろいろな〈いのち〉に対して慈しみの心が湧いてくるようになります。どんな〈いのち〉も、自分の〈いのち〉とおなじように大事な存在なんだ。生あるものは、みずからの生を精一杯まっとうしようとしているのだ。どうかみんな幸せでいてほしい。──自然とそんな心になっているのです。
そういう心が定着すれば、もうけっして元には戻りません。さらに次へとステップアップしていきます。
戒律を守るということは、ひとつ合格したら次から次へと、クリアーしていく道なのです。
ひとつの戒律に合格するために、一年や二年もかかったとしても、そのあとは一日、二日で次の戒律のトレーニングが終わるものなのです。だから、まずひとつを徹底してトレーニングすればいいのです。
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◉「おもしろい」ということをトレーニングする
「戒」のトレーニングが終わったら、次は「定」のトレーニングです。仏道はすべてが、トレーニングととらえてください。
繰り返してゆくことで、徹底して身につけていくのです。
「定」とは、集中力を養うことです。ひとはだいたい集中力がまるっきりないのです。心はいつも散漫です。「あれもやりたい、これもやりたい」と、心はいそがしくあちこちに動きまわっています。「ああ、おもしろくない、おもしろくない。なにかないか、なにかないか」と、おもしろいものを追っかけようとします。
おもしろいことが見つかれば、そのときは満足します。でもやがて不満が出てきて、つぎのおもしろいことを追いかけようとします。そのようなことを繰り返しているのです。
おもしろさを追っかけてばかりいても、満足するということはありえないのです。
ほんとうのところ、何もしなくても、何も追いかけなくてもいいんです。いつだって、つねにいまがおもしろいのですから。
わたしはときどき、ずっと部屋に閉じこもることがあります。しかし、そのことが、とっても楽しいのです。
休みだと、一日中、わたしは、ご飯も食べずに引きこもっています。それがすごくおもしろいんです。あれもやったほうがいいな、ご飯も食べたほうがいいな、と思いますが、そうこうしているうちに時間もたってしまいます。まあしかし、そんなことを三日も四日やってしまうと体によくないし、仕事もあるから、なかなかそれはできませんが。
家にじっと引きこもっているときは、電話に出る暇さえないんです。電話まで行って電話を取ろうとしている間に電話は切れるし、こちらから折り返すこともない。しかし、どうせ大した電話ではありませんからね。これまで、大した電話というのは受けたことがありません。皆さんには、暗くてつまらない時間の過ごし方のように感じるでしょうけど、わたしには、超おもしろいことなのです。