過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヴィパッサナー瞑想⑤ 心がオリジナルポジションになるまで、頑張る 通し番号100

※これで連載はついに100本までいった。あと20本くらいは続くように思う。
この後は「死んだらどうなる?」の原稿の投稿にシフトしていく。

仏教の基本的な考え方に、「十二因縁」というものがある。
過去・現在・未来の三界を流転する輪廻の様相を説明した12の因果関係である。

無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の十二を延々と繰り返す。輪廻転生する。
この輪廻を断ち切るための行法がブッダの瞑想法である。

因縁がえんえんと続くので断ち切るのは難しい。
断ち切るとしたら、どこで切るのか。どうしたらいいのか。

それが、ヴィパッサナーの主眼でもあると思う。
池谷なりに捉えると、受→愛→取というなかの、受(感受:見る、聞く、味わう、触るなとの感覚を受けること)から、「もっとほしい」という渇愛・貪にいくか「これは嫌だ」という怒り(瞋)にいくかのどちらかが自動反応。アルゴリズム

ヴィパッサナーでは、見た、聞いた、触った、それでおしまい。
すなわち、受(感受)から取にいかない。そこで、切断するというものだと思う。

まあ、詳しくはアビダルマの世界に入るので、説明はこのあたりまで。ともあれ以下はスマナサーラ長老の話である。
  ▽
この自分が作った世界は、やめることもできない。
悪い人を見て気持ち悪いと思った。気持ち悪いと思わないでくださいって言っても、無理ですね。

私たちは思考が妄想して暴走して、怒り、嫉妬、憎しみ、落ち込み、興奮、不安の感情が起きるのです。そこで苦しむんです。
もうお手上げ状態。

怒りが出てくる、欲が出てくる、嫉妬が出てくる、どうしようもないお手上げ状態です。

このように見てくださいと言っても、目にちょっとした光線が触れただけ。それに対して怒る。欲が湧く。興味を抱く。そういうメカニズム、自動反応が起きます。
  ▽
そういうわけでこの瞑想プログラムでは、一番最初に思考をやめるんです。
思考、妄想をやめて、心がオリジナルポジションになるまで、頑張るんです。

見ても聞いても触っても、自分でなんのイメージも作らないなら、その時初めて本当のことを認識できます。そこに怒りも欲も憎しみも起こりません。

そういうことで、思考、妄想を止めること。
それがヴィパッサナー瞑想のベーシックなやり方です。
それをいまから、練習します。