過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ヴィパッサナー瞑想③ 心がオリジナルポジションになるまで 通し番号9

大乗仏教では「空」(くう)という概念がある。空っぽである、なんにもない。しかし、内実がある。emptyness、nothingnessだけではない。
スマナサーラ長老は、「空っぽ」「心のオリジナルポジション」という言葉を使っている。龍樹の空論で言えば、「中道」ってところだろうか。

◉心をオリジナルポジションに持ってくる

これ気持ちいいとか悪いとか、もっとこうであってほしいとか、妄想しない。
空っぽでいるのです。
心をオリジナルポジションに持ってくるということです。
心はいま次々と変化しているでしょう。
これを見ると心は変化する。あれを見ると心が変化する。
変化、変化、変化の連続です。

それをおいかけていったら、めんどくさくてたまりませんよ。
だからオリジナルポジションに持ってくる。
何も形ないポジション。それは仏教用語で空といいます。
  ▽
心の汚れは思考をすると起こる
思考を止めたら、心の汚れがなくなるんです。
汚れというのはなんでしょうか。
それは自信がある、自信がない、落ち込んでいる、興奮している。
怒っている、嫉妬している、つまらないと感じている、怖いと感じている、不安を感じている、そういうのは全て心の汚れですね。

心の汚れは思考をすると起こるんです。
あっ、おリンだと思ったら、もう心は汚れているのです。
どうしてでしょう。

たとえば、おリンを見た途端、お寺を思い出す、家の仏壇を思い出す、先祖のことやら、シンギングボウルの音の響きがいいとか、もういろいろと関係ない世界を思い出す。浮かんでくる。
その時点で、心はとっくに汚れているわけです。