過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(94)唯識論

唯識
スマナサーラものがたり(94)

大乗仏教の基礎には、中観と唯識があります。これは詳しく論じていくとキリがありません。ブッダの教えの三法印(苦・無常・無我)とは矛盾してくるところがあります。
また、中観(すべてが空である)と唯識(すべては心が造っている)とは、お互いに矛盾するところもあります。そこの難しい問題はさておいて、見切り発車で投稿します。
以下は、スマナサーラ長老の法話です。
  ▽
唯識阿頼耶識(あらやしき:唯識説で説かれる第八識で、宇宙万有の展開の根源とされる心の主)をたてるでしょう。
それは不滅に存在するといいます。そして、阿頼耶識には個性がない。そして、阿頼耶識は常住不滅で、ずっと流れているんですね。

私たちのやってる行為の結果が阿頼耶識に全部記録されるというのです。記録エネルギーです。
その阿頼耶識から、波長を出すわけです。
  ▽
私は専門家に聞いたんです。
阿頼耶識が存在するといいます。そのことは、どうやって先生は知っているのですか」と。
唯識の権威でした。東大ょ辞めて駒澤にこられた方でした。

「うん、それは知らんね。」
そういう答えだったんです。

阿頼耶識があるということは証明できない。私は「なるほどこの人、本物の先生だ」と。知らないことは知らないとちゃんと言える。
そのポイントも知っている。私は「はいわかりました」と帰りました。