慈悲の瞑想について
スマナサーラものがたり(86)
※東海ダンマサークルの法話から。こういう質問がありました。
「知恵の悟りと慈悲の悟りの二種類があるとお聞きしました。ご説明をお願いします。」
知恵の悟りについては、かんたんに説明するのは難しいことでしょう。私たちの理解力がともなっていきませんから。そこで、慈悲の瞑想について話していただきました。
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ブッダは自らが悟りを開いた時、この教えはみんなが理解できるとは思っていなかったんですね。全ての人が真理を理解して、悟りに達するとは思っていなかった。
仏教の真理は、それほど難しいんです。
量子力学や科学的な世界が深く知られていくことで、一般の人も智慧の世界への理解がすすむかもしれません。しかし、科学が仏教の智慧に追いつく前に、人間そのものが終わるかもしれません。
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だからブッダは、人間なら誰にもできる瞑想法を教えました。
それが、慈悲の瞑想なんです。慈悲の悟りの方向です。
メインは悟りです。それは、ブッダの仕事だから理解できる人には教えます。
しかし、だれにでも理解できる教えではありません。
そこで理解力のある人とそこに至らない人とを、組み合わせたんです。
理性のある人というのは、自ら道を切り開いて進むんです。環境を変えて変えて進もうとします。一方、そうでない人は、その環境に適応して生きていくしかない。
その二つの生命のあり方を、組み合わせたんです。
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今回は、慈悲の瞑想について説明します。
慈悲の瞑想を実践すると、一番先にわかってくるのは、生命には根本的に慈悲がないってことなんです。
生命だったら慈悲がないんです。生命は自分が生存することで精一杯です。ハエであろうが、ゴキブリであろうが、蚊であろうが、ただ自分のことだけです。
蚊は相手のことを気にしないで、血を吸います。
海の中でも、魚たちは他の生命を食べて生きている。野生の動物にしても平気で他の生命を奪います。草食動物にしても、植物に対して感謝もなく、木の芽にしてもむしゃむしゃ食べてしまいます。なんの容赦もありません。
ヤギは、すごい勢いで草や木を食べます。それで草や木は枯れてしまいます。ヤギはそんなことはお構いなしです。自分が生きることで精一杯ですよ。
生命には他の生命をいつくしむということはないんですね。
生命は自分が生きることで精一杯で、他に対してどうこうしようというゆとりがないんです。
なぜかというと、生存するというのは、かなり大変な作業なんです。
自分の生存のためには、他の生命など、どうなってもいいと思っているんです。
自分の生存の戦いに対して、味方か敵か、それだけです。
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では人間はどうでしょう。
ペットや猫たちには優しい。
動物たちにはすごく優しいでしょう。
それって、本当ですかね。よく見てください。
私たちは、へっちゃらで魚を食べるでしょう。チキンを食べるでしょう。豚肉を食べるでしょう。
そちらには、何の罪悪感も感じないんです。
牛や豚を殺したら、バーベキューにしたら美味しいとか、ロースが美味しいとか、和牛が美味しいとか思うんです。
ニワトリがただコッコッと鳴いて動いているのはかわいいです。ところが、ひとたび殺して肉になったら、どのように調理しようか、どのような出汁にしようかと考えるんです。
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人間は他の人間に対しても容赦がありません。
外国のテロリストが人を殺した、爆弾を作った。ビルを破壊した。
それに対して、たいへんな報復をします。
イスラエルは、自分たちのプライドを傷つけられたんだから、攻撃してきた国に対して、報復しました。
大量殺戮、大虐殺をしています。病院も子どもも容赦しません。攻撃するときには、もはやそこに人間というものは存在しないんです。
どんな人たちの人生を家族を破滅させたのか、どれほど残酷なことをしているか、──そんなことはどうでもいいんです。
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私が言いたいポイントは、人というのは、自分の命だけは大事にするということです。
私につながる人は大切にする。家族は大事にする。友人は大切にする。仲間は大切にする。
自分を支えているんだから国を大事にする。
しかし、自分が生き続けるためには、他の生命は平気で奪う。
それが生命というものです。生命のプログラムなんです。
もしもみんなが平和に暮らそうというのであれば、心のプログラムを完全に書き換えなくてはなりません。
そこで慈悲の瞑想があるのです。
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慈悲の瞑想は、すべての生命が一つの波長に動くんだと発見することなんです。
慈悲の瞑想を実践すれば、自と他がないんだと発見する。感じる。
自分が消えるんです。消えた時でも、自分の波長はありますよ。生きる波長が。
でもそれは他の生命と一緒になってくるんです。
たとえば、一滴の水が海に入ったような感じでです。
水は死んでいない、大海と一緒になっている。
カップの水を海に捨てる。そのカップの水は死にません。消える。一体となっている。
それは、自我がないということでもあります。
生命が他の生命と溶けたってことでもないんです。
ブッダは、そこは脱出しましょうと教えました。解脱の道ですね。
そこはまた、別の機会にお話します。