起こるべき反応が起きているだけ
スマナサーラものがたり(85)
東海ダンマサークルの法話から。こういう質問がありました。
「長老は何十年も仏教のお話をされています。そして今、体も苦しかったりしておられます。
この現在、長老の心にどんなことが起こっているのか、どんな心持ちで今過ごしているのかを知りたい思います。」
なにか仏教を伝えたいとか、なにかを直そうとか、意見しようとか、どうこうしようと思っているのかどうか、そこは知りたいところだ。
長老は「なにごとも期待せずに生きている。それだけ」ということであった。以下、長老の答え。
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私はとくに何も思わないんです。驚いたりもしないし、悲しくなったりもしない。
ああするべき、こうするべきもない。
ああしたい、こうしたいというものもない。
そのときそのときの現象が起きた、反応が起こっている。
そうやって生きているんだけなんです。
「私」というももちこまないと、物事に対してそのような態度でいられます。
みんな自分のプログラムで、計画を立て、生きる道を作って、歩んでいると思っています。しかし、実のところ、そのときそのときの反応だけなんです。
すべて起こることが起きているのです。それだけ。
物を心に入れるとか、空を心に入れるとか、宗教的な単語を使うと、自分を騙すようなことになってしまいます。
ものごとの本質は、その場でその場で、起こるべきことが起きているだけです。
起こるべきことが起きなければ、起きない。
明日こうしなくちゃいけない、明後日こうしなくちゃいけないと思うと、ストレスですね。
私は、適当にちょこちょこと計画は立てます。
けれども、何ができるか分からない。何が起こるのか分からないんです。
だから今やるべきことをちゃんとやっていけばいいということです。
そんな感じで、なにごとも期待せずに生きています。
まことにシンプルバージョンです。