過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る わかるなあ

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

芭蕉の最後の俳諧だ。病の床で芭蕉は推敲し「なほかけ廻る夢心」や「枯野を廻るゆめ心」とすべきかと思案したという。享年50。

芭蕉の翁ともいうので、年齢は70歳か80歳と思いきや、なんと若いこと。「奥の細道」などの旅は40代の後半だ。めっちゃ若い。るで青年じゃないか。40代の後半だな。そして健康で体力のある人だ。忍者説もあるくらいだし。

しかし、その芭蕉にして病を得たときの句だ。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
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この気持ちはわかるなあ。若くて元気なときは、もうあちこち走り回って疲れ知らず。どこにでも出かけられた。山登りもしたし、カヤックもしたし、インドなど13度も旅をしたものだ。

思いきり息を吸って、思いきり走れまわれたよ。
いまは息を吸うと胸が詰まった感じで苦しい。雑巾がけなどでも、もうぜいぜい肩で息をする。そのうち、階段の上がり下がりができなくなるかも。

まあさいわい、いまは読み書きとおしゃべりはできるので、そのあいだは、たくさんおしゃべりして書いていくつもり。
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朝から、掘りごたつで温まって暮らしている。炭の暖かさはじわっときて、じつにいいものだ。朝、庭で焚き火をして炭に火をつければ、夕方まで温かい。時に熱すぎるほとだが、そこは灰をかけて埋み火にする。それがなんとも味わい深い。

きょうは京都と浜松から二人女性が訪ねてきて、あれやこれ美味しいものを持ってきてくださるという。まあ、ぼくの場合は遠慮というものはないからね。「おいしい物を持っていくね」「あ、そうなの。それは嬉しいな。ついでにパンツを3枚買ってきてください」みたいなやりとりだ。

楽しみはこうした友が来て、焚き火をして仏教や哲学の談話をすること。それを整理して書いていくこと。「池谷さんの本(精神史)を作りましょう」という出版社も現れた。それはなんとも、うれしいことよ。日々、いろいろなドラマが起きる。まあそれで十分。