世は変化してゆく。定まっていない
スマナサーラものがたり(82)
※これは、法話というより、スマナサーラ長老に仏典のいい言葉を書いてもらって、読者にプレゼントしようという時の話です。どういう言葉を選ぶかという時、「サンユッタニカーヤ」の言葉から選ばれました。
以下は、スマナサーラ長老の話です。
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世は変化してゆく。定まっていない。一定していません。難しく言うと、世界は堅固ならぬものとして与えられている。世界は儚いとブッダは言います。
「世」とは、世界という意味ではありません。ローカ(世)というのは生命のことですね。
全ては変化してゆく。止まることはない。
止まると、とどまるはちょっと違います。
とどまるは滞留する感じ。止まるはストップ。
日本語的には止まらない、止まることはない。
すべては変化している、止まることはない。
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生命というものは、儚き渇愛の奴隷であるとも言われます。
私たちは、一瞬でも人々は何か何か勝てていると思っています。
勝てていると思っているので頑張るんです。だから、どんなときでも、満足することはない。私たち不満族なんです。
不満を持っている。渇愛(タンハー)の奴隷ですなんですね。
頑張るといっても具体的に何かないと頑張れません。だから人は何かプロジェクト考えて目的考えて、ターゲットを定め、それを目指して頑張ろうとします。
ポイントは、「それに達したからといっむて、どうなんだ」ということです。一つ達成したと思ったら、また次にターゲット作ってやらなくちゃいけなくなる。死ぬまでそれやっちゃうんですね。人はそういうものです。
かといって、怠けることも良くないですよね。怠けようというのは、退化の方向です。怠けると、堕落していく。自らを破壊して終わるんですね。
それは地獄まで行くことになる。地獄にいっても堕落して、さらにひどいところに行ったりすることにもなります。
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そうして、これ以上堕落しないってところに落ちてしまうと、ちょっと頑張らなくちゃってことになるんです。
それで上がっていく。しかし、地獄の底についてから上がってくるのは大変なんですね。
大変ですけど、それが輪廻っていうことですね。
だから怠けは危険ですね。怠けに入っちゃうと体が堕落し始めるんですね。「怠けることなく励みなさい」というブッダの言葉もありますね。