過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(79)「自分」を入れないと何をやってもうまくいく

 「自分」を入れないと何をやってもうまくいく
スマナサーラものがたり(79)

※自我を入れないで淡々とやるだけで。ものごとはうまくいく。コミュニケーションもうまくいく。それは、なんとなくわかる。自我が、私が、我強いとなかなかうまくいかない。ストレスも大きい。

悟りへの道とかいう金メダリストの道ではなくて、日々の暮らしをうまく運ばせるには、すべてに「自分」を入れないでやっていくということなんだろう。

体が衰弱して、死に向かっていくときすら、「私」が死んでいくということを離れて、自分という肉体が衰弱して死に向かっていくプロジェクトとしてみる、というあり方もあるように思う。

以下、スマナサーラ長老の法話より。
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ポイントは、すべてに「自分」を入れないことなんです。そしたら、すべてがうまくいきます。

そうなると、他人の評価を求めなくなります。
自分で自分に満足しているからです。
何が起きてもオッケー。自我や思いを入れず、起きたら起きたとおり。
どんな結果になっても、もう全部の結果がオッケー。プロセスと結果に対処するだけ。

「自分の思うようにしたい」「相手に気に入られたい」「嫌だと思われたくない」というのは、自分の主観です。自我です。

自分を入れると、相手がストレスを感じてなって反応します。そうすると、こんどは自分の反応を引き起こします。そういうことがえんえんと続いて、争いになるんです。戦争にしても、そうした自我の行き着く先に起きることです。

そのようにみてみれば、この日常生活そのもの、起きるとはすべてが自作自演ということなのです。
宇宙の中の一員である自分には、起こることは起こる。ものごとはなるようになっている。
そして、起きてしまったことはもう仕方がない。過去には戻れない。
だから、次のステップでは、自我を入れないで淡々とやるだけのことです。そうしたら、すべてうまくいくのです。
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そのようにして、この日常を生きてみてください。
そうすると、何をやっても抜群に明るい世界が現れるんです。明るくニコニコと生きている人間が現れます。

これは宗教の世界じゃないんです。自分を超えたなにか「偉大な存在」を祭り上げたり、祈ったり、それに依存する意味での宗教は必要ありません。
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元気になるため、あるいは安らぎを得るためのポイントは、自我を外していくところにあるのです。

ひとは、「自分」を入れないで対処すればいいということがわかったら、もうすでに立派に成長しています。

これまで抱えていた、たくさんの問題は瞬時に消えてしまいます。
トラブルも起きません。「社会でどう生きるか」も関係ない。「上司に評価してもらおう」ということも関係ない。年をとって体が動かなくなっても関係ない。「死んだらどうしよう」ということも関係ないのです。