過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(78)死に臨んで捨てる

スマナサーラものがたり(78)
しばらくスマナサーラ長老の法話の連載を休止していましたが、いろいろ死について、「わがごと」になってきたので、また連載します。きょうは、タイのアチャン・チャー師の肉体を離れるに際しての説法にも通じますね。
連載は目標100本まで。来年の4月に本になる予定です。わたしが年内に頑張れれば、ですけど。
こうして投稿してますが、まだ「他人事」です。
いつかちかいうちに、これが「わがごと」になるなあと感じつつ。
スマナサーラ長老の死にゆく人への問いかけはとてもクールで、残酷に聞こえるかもしれませんが、心身への執着を外すことが最も大切だというところです。
さて、わたしはそうなれるかなあ。わかりません。
  ▽
「死に臨んで捨てるということ」
執着を捨てるということです。
例えば人が今もう死にかけているとします。
これはあくまでも仮定の話です。
こんな感じでもっていきます。
その人が社長だとしましょう。──は死にゆく人の答えです。
  ▽
あなたは社長ですね。──はい、そうです。
そんな社会的な実績は、いまはもう意味がないですね。──はい。
子どもは何人いるんですか。──三人います。上の子は医者で、病院を経営しています。
それもあなたにとっては何の意味もないですね。──そうです。
あなたはすごく運動したりスポーツをしたり、体を鍛えていましたね。──そうです。
でも、今は体は何の役にも立たないでし。──そうですね。
体も捨てていきましょう。もはや意味がないんだから。──はい。
あなたはすごくいろいろなことを勉強して、私はこういうことを考えてるんだというものがありました。しかし、今はそういうものは一つも役に立たないでしょ。あなたの心も。──はい。
心も捨てなさい。あなたのものは何もないんです。はい。
あなたのものというのは、何一つ元々もなかったし、今もないでしょう。──はい。
だから落ち着きましょう。──はい。
  ▽
全部消えていくんです、消えていく。見てください。
どんどん消えていく。観てください。
あなたはどんどん呼吸ができなくなってくる。観てください。
どんどん体が痛くなってくる。自由を失っていく。観てください。
どんどんと考えることも自由にできなくなってきます。

死に臨んでは、そういうふうに「すべてを捨てる」ということを指導してあげるんです。