死ぬ瞬間は苦しくないことは、なんとなくわかる。
昨年、カヤック漕いでいて水没、倒木の下に巻き込まれ、あやうく死ぬところだったからね。
ただ、死に至るまでの長い闘病生活が、不自由で嫌だなあというところ。
ま、これも過去のカルマであり、ひとつのプロジェクトとしてとらえようとしている。
「自分」が病んでいるだけれど、病んで死んでいくというプロジェクトが「主語」。それが、すしずつ進行し、あれこれとドラマがあり、やがて終焉する、と。
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妻の運転で、天竜病院に。10時に行ったのだが、結局受診は12時半。
受診室の前で待っていると、酸素ボンベを引きながら、はあはあはあと苦しそうに声を出している方がいた。眼の前の女性は、リュックに酸素ボンボを背負っていた。
受診まで時間があったので、話を聞いてみた。
60台くらいの女性の方は30年も前から、MAC症という結核にかかっているとか。80代くらいの男性の方は、数年前に突然発症。土とか草刈とかに日ごろ接していて、肺に良くなかったらしいとか。いやあ、とても苦しそうだった。
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同病を語り合うってのは貴重だ。こうした肺炎、肺の病の患者、あるいは家族の方たちとの語りの集いを企画しようかなあと思ったよ。
いろいろな治療法、病を得ての暮らし方、自立支援のための介護保険制度の使い方など、おなじ苦しみ、悩みを持つ人同士が語りあえるといい。オープン・ダイアローグの場づくり。あるいは、こうした病院に併設してコミュニティカフェなどがあるといいなあと思ったよ。
マスクしていて髪を後ろに束ねていたのに、病院内で「池谷さんですか?」と声をかけてくれた人がいた。「Facebookでいつも投稿を読んでいます」と。こんなところで出会うのは不思議なこと。
帰宅すると、大手出版のP社から電話。出版した文庫本の価格改定について。「ところで、ブログ読ませてもらっていますけど、大丈夫ですか?」と。
何しろ毎日書いているので、あちこちに読者がいるのはありがたい。もう力仕事はできなくなったが、書いたり読んだりはできる。このまま発信は続けていくつもり。
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症状は「特発性間質性肺炎」。急性ではなくて慢性。一念も二年も、空咳していたからね。コロナの後遺症かもしれない、薪ストーブや焚き火のせいもあるかも、また古民家に移ってそこが湿気とカビとホコリが多かったせいもある。
この一ヶ月で急激にパフォーマンスが落ちた。
治療には、「抗繊維化薬」を使うが、肝臓に負担がかかるのと下痢になるという。そのあたりも含めて11/25から一週間の入院。
指定難病なので、入院費用は5,000円で済む。
保険証やら住民票、写真、医者の意見書などを用意して役所に。まず、障害者3級と指定難病の申請をした。認定までには3か月を要すると言われた。
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朝は、間質性肺炎では大先輩の、画家のA先生とメッセンジャーでやり取り。いま祇園祭の山車のスケッチの連載をされている。スケッチもすばらしいが、大学で建築美術を教えていた方なので、構造的に描くのが見事。
歴史文化の継承保存というところから、ぜひ本にしましょうという企画提案。まあ、病を得ても、新しい企画が好きな私である。