「人々は絶えず互いの信念を強化しており、それが無限のループとなって果てしなく続く。互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外、ほとんど選択肢がなくなる。」(『ホモデウス』テクノロジーとサピエンスの未来 ユヴァル・ノアハラリ)
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観念の連鎖、共鳴、つながりによって、ある時代の精神とか価値観が共有される。支配される。
時代の精神とか価値観というものはとても大きい。なにしろ。みんながそう思っているのだから、当たり前であり、それが正しい。長いものにはまかれろ、ということ。
そうしたものが、いかに形成されていくのか、それを考察してみたい。
ハラリは言う。「歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で最も重要に見える事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解すること」と。
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わたしの子供の時代から、いまもそうだと思うが、学校に入れけばいい成績を取るのがいいことで、いい学校、いい大学、いい会社に入ることが大切。
何を学ぶのかということよりも、いかにしたら効率よくテストでいい点数が取れるのかであった。まあ、偏差値教育ということ。
「一流」ではなくて、「一流」とみられる会社とか組織に属していればいい。そうすれば、安心、安全、優位だと思い込まされていた。そういうサラリーマン根性であった。
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ほんとうに大切な学びができなかった。しなかった。試験のための学び。なにより、自分は一体何が好きなのかを求めなかった。好きなことにチャレンジするのが人生では大切なのに。それが、わからなかった。
好きなことを見つけて、好きなことにチャレンジすれば、人生は楽しい。好きなことだから、努力は惜しまない。努力しているとも思わない、なにしろ好きなことなのだから。
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以下は『ホモデウス』テクノロジーとサビエンスの未来 ユヴァル・ノアハラリ著からの引用である。
人々は絶えず互いの信念を強化しており、それが無限のループとなって果てしなく続く。互いに確認し合うごとに、意味のウェブは強固になり、他の誰もが信じていることを自分も信じる以外、ほとんど選択肢がなくなる。
それでも、何十年、何百年もたつうちに、意味のウェブがほどけ、それに代わって新たなウェブが張られる。
歴史を学ぶというのは、そうしたウェブが張られたりほどけたりする様子を眺め、ある時代の人々にとって人生で最も重要に見える事柄が、子孫にはまったく無意味になるのを理解することだ。
歴史はこのように展開していく。人々は意味のウェブを織り成し、心の底からそれを信じるが、遅かれ早かれそのウェブはほどけ、後から振り返れば、いったいどうしてそんなことを真に受ける人がいたのか理解できなくなる。
後知恵をもってすれば、天国に至ることを期待して十字軍の遠征に出るなど、愚の骨頭としか思えない。
今考えれば、冷戦は狂気の極みだ。三〇年前、共産主義の天国を信じていたがゆえに、核戦争による人類の破滅の危険を喜んで冒す人々がいたとは、どういうことか?
そして今から一〇〇年後、民主主義と人権の価値を信じる私たちの気持ちもやはり、私たちの子孫には理解不能に思えるかもしれない。
サピエンスが世界を支配しているのは、彼らだけが共同主観的な意味のウェブ――ただ彼らに共通の想像の中にだけ存在する法律やさまざまな力、もの、場所のウェブを織り成すことができるからだ。人間だけがこのウェブのおかげで、十字軍や社会主義革命や人権運動を組織することができる。