過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(75)瞑想について⑲ すべてに「自分」を入れない生き方をしてみる

 すべてに「自分」を入れない生き方をしてみる

スマナサーラものがたり(75)瞑想について⑲

すべてに「自分」を入れない生き方というのは、すごい真理です。暮らしの中で、確実に役に立ちます。
「自我がない」ということだけで、もう現実に役に立ちます。
片づけの仕方ひとつとっても、自我を入れないとうまくいくのです。
  ▽
例えを挙げてみましょう。
この物が、どこに置かれたいか、このコップはどこに置かれたいと思っているのだろうか。物の気持ちになって動かしてみるのです。
「自分が」物を片づけようと思うのではありません。
主語は自分ではなくて、物です。

この椅子はどこに置かれたいと思っているのだろうか。
このボールペンは、どこに置かれたいと思っているだろうか。
すべての物を、そのような思いで動かしてみるんです。
そうすると、不思議なことに、じつにスムースにきれいに片づきます。
  ▽
自分の身体の動きでも、そのように観ることができます。
試してみてください。自分が自分の体を動かしているわけですが、動かすのは自分ではなく、「体」が動かしていると思ってみるのです。

「自分」が主語ではなくて「体」が主語です。
自分の足がどう動きたいのか。足が動かしたいように動いてみる。「自分」が主語ではなくて「足」が主語です。
手がどう動きたいのか、手の動きに沿ってみる。「自分」が主語ではなくて「手」が主語です。

そうやって生きていくと、ずいぶんと、日常の暮らしは楽になります。
それが、暮らしのなかで自己をならう実践、修行になるのです。

自分がどう思うか。自分がどうなりたいか。
そこをできるだけ捨ててみるんです。

スマナサーラ長老のインタビューをもとに池谷が構成しています。