行為だけあって「わたし」がいない
スマナサーラものがたり(69)瞑想について⑬
スローモーションで実況中継を行うのは、どういう意味があるのでしょうか。
それは、「わたし」「自分」という思考を止めるためなのです。
スローモーションと実況中継によって、「自分」が手を動かしているという気持ちがなくなるのです。「自分が成り立たない世界」を、脳のなかでつくるのです。
「自分」というものが、消えるのです。
そこにあるのは、ただ動かしているという「行為」だけです。
行為だけがあって、そこに「自分」がいないのです。
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そこには、なんの生産性もありません。
そのことが、まさにポイントなんです。
なぜなら、ひとは無意識にすべての行為に対して、「目的」をつくってしまう。目的をつくったら、そこにあるのは「自我」なんです。
目的をもつことによって、「自分」というものが立ちあらわれてくるのです。
「目的」をもたないことによって、「自分」が消えていくのです。
わたしたちは、なにをするにしても、「目的」をもとうとします。
また、「どんな意味があるのか」と考えようとします。
けれども、じつのところ、すべてのものごとにおいて、意味など、なにもないんです。目的もないのです。
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この宇宙の中で、自然界の中で「意味」や「目的」など、なにひとつないといえます。
ただすべては、絶え間なく変化している、動いているだけのことなんです。
ということで、もとより意味や目的のない世界にあって、なんの意味もないことを、ひとコマひとコマの動きで、ただ言葉で実況中継していくのです。
そのことで、「自分」という気持ちを消すことになるのです。
行為だけあって、そこに自分がいないのです。思考がたちあらわれてこないのです。
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こうして、自分がいないという状態が脳の中で起こることで、脳はリラックスして、脳が限りなく開発されるのです。智慧が生まれるのです。
ただし、そうはいって「自我」というものは、ものすごく深いところで生まれます。
そうかんたんには消えません。
※スマナサーラ長老のインタビューをもとに池谷が構成しています。