過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

雑巾がけでもゼイゼイする。息が苦しい

間質性肺炎で、肺活量は60%に落ちている。デスクワークはできるけれども、ちょっとした雑巾がけでもゼイゼイする。息が苦しい。

いまここにいるマインドフルネス瞑想のポイントは、呼吸に意識を向けること。しかし康なときは、なかなか呼吸に意識がいかない。いまは呼吸が苦しいときが多いので、いやおうなしに呼吸に意識がいく。呼吸にアンカリング(錨)されている感じ。

呼吸に意識を向ければ、ほんとうは心が落ち着いて穏やかになるんだけれども、酸素の吸収力が弱いので、身体はラクではない。
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一ヶ月前はこんなじゃなかったのに、急激にパフォーマンスが落ちている。特発性の間質性肺炎の可能性が高い。これって難病だろう。

人はいつか必ず死に至るんだけれども、息が苦しい状態が続いて、次第に苦しくなって死んでいくとしたら、困ったことだ。

昨年、危うく死ぬところだった。気田川でカヤックを漕いでいて、大きな倒木(川を縦断していた)の下に挺が吸い込まれてしまったことがあった。ああ、死ぬのは瞬間だなあとは感じた。

しかし、そういう事故ではなくて、病などで死んでいくというのは、苦しみや痛みが伴うわけで、それはいやだなあとは思う。

痛みや苦しみがあるのは、生存力があるからで、多分、痛みや苦しみが起きることで、「緊急事態だ、治せ」と大脳から全細胞に司令がいくんだと思う。そして、それが回復できなければ、もはや生存力はなくなって死ぬということになる。
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だが、しかし死んでも生存欲というものはあるんだろう。あるいは、私という意識は残るのかも。

そうすると、肉体が滅んでも、また新たに肉体を得ようとして、輪廻の世界に入っていくのかもしれない。そしてまた、新しい人生のやりなおしということが、無限に繰り返されてきたのかも。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」(空海 秘蔵法鑰:ひぞうほうやく)