スマナサーラものがたり(66)瞑想について⑩
中国の禅の老師たちの言葉があります。
ある人が一生懸命に坐禅に打ち込んで修行している。そこに師匠がやってくる。
「おまえは、なにをしているのだ?」と師は聞く。
「坐禅して悟るためです。仏になるためです。」と弟子は答えます。
すると師匠は瓦を持ってきて一生懸命磨きだします。
「おお師よ、なにやってるんですか?」
「瓦を磨いてな、鏡にしようと思っているのじゃ。」
「おお師よ、それは頭おかしいんじゃありませんか?瓦をいくら磨いても、鏡になるわけがないじゃないですか。」
「お前こそ頭がおかしいぞ。瓦を磨いて鏡にならなければ、坐禅して悟ることなどできるはずがないではないか。」
それが答えでした。
その人は悟りたいと思って瞑想しているんです。
ブッダになりたい、悟りたいと思っていくら坐禅しても悟ることはできないのです。
※スマナサーラ長老のインタビューをもとに池谷が構成しています。