過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

スマナサーラものがたり(65)瞑想について⑨

スマナサーラものがたり(65)瞑想について⑨

瞑想していて深い瞑想に入ったときに、その一瞬だけ神秘体験する人はいます。
けれども、それで終わりなんです。
その瞬間がずっと続いたならば、あなたは病院に閉じ込められるでしょう。
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例えばバンジージャンプがあるでしょう。足にゴムをつけて高いところからドカーンと飛ぶ。そうするととても怖い体験を得ます。怖い、スリルを味わう、冒険心を満足させます。やったー!と自分を褒めます。心は躍動してとても楽しい体験でしょう。でも、すぐ終わりです。

その後、その人は死ぬまでそのバンジージャンプの体験を持ち続けていたとしたら、それは病気ということになるでしょう。治療が必要ですよ。
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ブッダになるために瞑想する」「悟るために瞑想する」という人がいます。
しかし、その人がブッダをどう思っているのか、悟りをどう思っているのか、私にはわからない。その人は、「これがブッダだ「これが悟りだ」という妄想概念を持っているんですね。

みんな得体の知れない「何か」になりたがるんです。
みんなそのブッダになりたくて、悟りを得たくて座禅を組んだり修行する。それは、失敗しますよ。
これがブッダだと描いているブッダには、絶対なれないんですね。
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禅はいろいろおもしろいことを言います。
「すべてがブッダだ」。「悉有(しつう)が仏性(ぶっしょう)だ」と道元は言います。

これはブッダだよと。あれはブッダだよと。これは携帯でしょう。これはペンでしょう。
あなたにこれがブッダとして見えなければ、真理から外れているということになります。
禅は、そういうふうに大胆でインパクトのある言葉でいうんです。

スマナサーラ長老のインタビューをもとに池谷が構成しています。