スマナサーラものがたり⑮
ブッダはいろいろな人に語ったんです。
相手の世界に入って話をする。
誰に対しても上から抑えて喋ったんじゃないんです。農民に出会えば農民の言葉で農民の世界で話します。奴隷の人と会えば奴隷の人の世界に入って話をします。王様みたいな権力のある人と喋ると、その世界で話します。
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文化とは、思考、パターン、好き嫌い、服装、生活習慣でしょう。全てが入ってますよ。結婚でしょう。出産でしょう。入学でしょう。葬式でしょう。その形で文化は理解が可能だけれども、その背景にある精神性が大切です。
子どもが生まれたら、神社に参拝する。それだけ見れば、子どもが生まれたら神社に連れて行くということでしょう。形は理解できます。
文化には、フォーマルのカルチャーとスピリチュアルのカルチャーと二つあるんですね。例えばしきたりでしょう。神社があって、赤ちゃんを連れていく。神社でお祓いをしてもらう。お札も買って帰る。それは形だけですね。しかし、そこのバックグランドにある精神的なもの理解が大切です。
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なぜ子どもを連れて神社につれていくのでしょう。
わが子が無事に育ってほしいという親の願いがあるからなんですね。
そこはスピリチュアルなカルチャーでしょう。あらゆる国や地域との共通性があります。
アメリカのお母さんは神社に連れて行きませんよ。教会に連れて行って、洗礼してもらうんです。それぞれフォームが違います。しかし裏に流れているものは同じです。
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仏教は文化の形の背後にある精神に向けて語らなくちゃいけないんです。
ときには、私はフォームを見てからかったり、面白かったりしますが、バカにはしませんよ。
下町の三ノ輪(南千住)に暮らしていたときのことです。
「お神輿を運んでください」と頼まれたことがあります。私はそれが大事なことは知っていますが、「それはごめんなさい」と断りました。
「イヤだ」という訳ではないんです。荒っぽい男たちと一緒に神輿を担ぐのは、ちょっと体力的に大変です。でも私に頼んできてくれたことは、とてもありがたく思うんですよ。
使う言葉は「おい、おまえさん神輿を担ぐぞ」と乱暴です。でも、乱暴な言葉の裏にあるのは人間学なんです。あんたは特別視してないんだよという心です。みんな同じだと。だから乱暴な言葉の裏に何か流れているんです。そのあたりを理解していなくちゃいけません。
精神的な文化の背景を理解すると、世界のどこでも行けます。暮らせます。