陸運局で、車の名義変更。あれこれ用意したはずの書類が、「譲渡証明書に印鑑がない」ということで、所有者を訪ねて押してもらう。また、車台番号を一部記載を間違えて、また訂正印が必要だとか。‥‥なにしろ、車検証がすごく小さくなって字がわかりにくい。
まあ、いろいろテキパキと仕事している陸運局だけど、AI導入したら、人は1割以下で済むと思うなあ。サイゼリアだってマックスバリュだって支払いは、自動精算の時代だ。
役所は印鑑証明などわりとスムースに出るようになった。けど、料金の支払いに上司が確認するなど(これ、郵便局も同じ)、無駄に人件費がかかっているなあ。そんなの一発で自動でできるはず。というか、印鑑とか印鑑証明などそもそも、やめてしまえばいいのに。
役所の書類など印鑑は不要になったにもかかわらすぜ、反社勢力とのつきあいはないという書類だけは印鑑が必要とか。閣議決定で「反社」の定義ができないときめた内閣なのに。
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布団を15セット処分したいという人の家を訪ねる。「もらっていただいてうれしい」と。布団は、車になんとか詰め込んだ。奥さんが春野の大時(おおとき)というところのすごい過疎地の出身で話が盛り上がる。これで、いまの古民家にいろいろな人が泊まれる布団は確保できた。ありがたい。あとはシーツだけ。
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高校の同級生のIくんが、その方の近くにいると思いたち、急に訪ねる。彼は設計デザインの仕事。いろいろと作品(建築物)を残してきているし、いまも創作している。アーティストというのは、いい人生だなあ。
ぼくなど、「勤め人根性」で、企業で36歳まで営業と事務。仕事はわりとなんでもこなしていたけど。好きな仕事じゃあない。なにより創造性はなかった。創造性がないと躍動しない。躍動しないと仕事も重苦しい。次々と展開しない、
会社人生をやめて、先行き不安たけれど好きな宗教や仏教の世界の仕事(編集)に入って、いろいろと思わぬ世界に自然と展開してきたのだった。好きな分野だから、学び続けるのが楽しい。そして、それが生涯つづくんだね。
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そういうことを20代、いや10代で知っておいたら人生は、かなり違ったなあと思うけれど、偏差値境域の価値観で没入していた。ああ、もったいなや。
ともあれ、高校の同級生なので、話題は多岐にわたる知的な対話が楽しめるって滋養になる。楽しかった。帰宅したのは、23時半だったよ。これから、こうしてむかしの同級生、ご無沙汰して10年余の旧友との旧交を温めていくかなあ。だってみんな死んでしまうんだもの。自分も含めて。