一昨日、ちかくの私設図書館でエホヴァの友人にばったり会った。
かれらは布教活動にこの山里に来ている。各家を訪ね「めざめよ」という冊子を配る。もちろんボランティアで。
で、彼らがお弁当を食べている間、いろいろ聞いてみた。
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──エホヴァでは、天国にいける人の数は決まっているんですよね。たしか14万4千人でしたっけ?
「いや、7万○千人です」
──あれ、そうでしたっけ。しかし、それにしても少ないですね。
じゃあ、エホヴァの信徒でも天国に行けない人はどうなるんですか?
「それは、神の記憶の中にある、ということです」
──ううむ。神の記憶の中‥‥。難しいですね。
いわば神と一体ですか? そうすると、神の記憶の中にいる人は幸せなんでしょうね。
「はい。もちろんです」
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──では、天国にいる人と神の記憶の中とのちがいはどうなるんですか? 天国にいる人はもっと幸せってことですかね?
しかし、天国に行った人は、いったいなにをするんでしょうね?
楽しくて楽しく仕方がないという暮らしかもしれない。けれども飽きてしまうんじゃないですか?
「それは、私たち地上にいる人たちを助けることになります」
そんな話をした。ちと内容はうろ覚えだけど。
まあ、こんなことをバシバシと突っ込んで聞いてくる人はあんまりいないと思うので、かれら(三人)も新鮮で楽しそうだった。みんないい人たちだしね。
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まあ、失礼ながらこう言った。
──いわゆる「宗教」を信仰すると、安心の道。しっかりとした人生を歩むことになると思います。でも、どんな宗教でも一つの大きな欠点があると思います。
「え?それは?」
──それは、〝はじめから答えが用意されている〟ってことだと思います。どんなことにも、すべて解答が用意されている。
なので、自分で本質的なところに疑問を抱かないようになってしまう。また、旧約聖書の「ヨブ記」にあるように、神に問うこと自体が許されない。
そうなると、本質的な探求ができなくなる。それって、つまらない人生になるのではないかと。(続く)