小澤征爾が亡くなった。
直接にその生の演奏の指揮に出会ったことはない。
しかしすごいな。スクータひとつでヨーロッパに渡り、そしてバーンスタインやカラヤンの指導を受ける。まったく破天荒な人生だ。
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東京暮らしのときは、毎月のように、コンサートに出かけたものだ。
朝日新聞の懸賞欄に応募する。するとまちがいなく当選した。
それで、東京文化会館、サントリーホール、カザルスホールなど、あちこちのホールで鑑賞したのだった。
完成した演奏会はいい。
そしてまた、事前の練習会ってのもいいんだ。
ダニエル・バレンボイムの式による公開練習会にいったことがある。サントリーホール。秋山和慶の指揮も。
練習だから、指揮者は椅子に座ってい指揮している。
「そこ。もう一度。だめだめ、こういうふうに‥‥」
そういう光景に出会った。
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まあ、なにごともそうだけれど。
できあがった本番は、すばらしい。
そして、もっといいのは、そこに至るまでの準備、緊迫した練習に出会うってのがいいのだ。
「さあはじまるぞ」というときの、緊張した雰囲気。
そこに出会うのは実にいい。
そして、終わったあとの、「やり遂げた」という満足感と片付け、そこに出会うのもいい。
本番だけがいいわけではなくて。準備と片付け、それが味わい深いのだ。
途上もいい、本番もいい、終わっていくのもいい。
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失敗も味わい深い。
西本智実の指揮のコンサート。チャイコフスキーだった。
だが、クライマックスで、突然、客のケータイがなった。
まことに残念至極。
でもまあ、そのことに気づいて指揮を振っていた西本智実のありようもカッコよかった。