過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

FacebookとZOOMの活用

書くことが、いちばん学びになる。そして発信になる。

書いていると、「足りないなあ」「説得力がないなあ」「あやふやだなあ」「論理展開がまだるこしいなあ」ところが見えてる。そんなところを練っていると、自分の頭の中が整理されてくる。頭の整理が作文の効能でもある。

書くならきちんとした文章がいい。「言いたいことは何か」がはっきりしている「わかりやすい文」だ。ワケがわからない文、愚癡とか不満、怒りとか、たんなる引用とか、おいしいもの食べたとかだけでは、文章力は磨かれない。

ちゃんとした文を書こうとすると「自分が言いたいことは何か」がはっきりする。「一言でいうとしたら、なにがを言いたいのか」がみえてくる。「いいたいことを伝えるために、どう整理して伝えるか」が鍛錬される。

「言いたいことがはっきりしないで書く」と、なにしろ当の本人かはっきりしないのだから、読者は余計はっきりしない。まあ、書いていくなかで、「言いたいことはこれだったか」が見えてくるが。
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Facebookはその意味ではいいツールだ。なにしろ気軽に投稿して、多くの人に読んでもらえるから。
きちんとした文章を発信しようと努めれば、文章力は上達する。文学的なものを書く必要はない。いいたいことを、きちんと伝える。ややこしいことを整理する。なにより読者からのコメントから新しい視点に気づく。ややこしい人のコメントもあるが、それはそれで学びになる。
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さらには、語らいの場を作るのもいい。
山里では、人がいないので難しいが、ZOOMをつかって仲間を呼びかけれれば、いつでもお喋りができる。自分が放送局のキーステーションとなることができる。
なにしろ人の話は、その人のこれまでいきてきた体験の蓄積から出てくるわけで、たいへんな深いものがある。そこがじつにおもしろい。

まあ、それがビジネスになるかどうかは、いまのところわからない。けれども、ネットワーク作りはかけがえのないない財産にはなっていく。