過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

もっとも枢要な一点。「自分の頭で考える」。そこが、創価に決定的に欠落している点であるが、そこは指摘しなかった

友人の創価学会員が訪ねてきた。明るい気さくないい人である。
ぼくはいつも創価を批判しているわけではなくて、そのいいところ・ダメなところも見ている。
学会批判して論争しても疲れるだけ。自分なりに創価のいい点を挙げてみた。次の3点。

①自分で祈ること。
宗教では当たり前なこと。しかし、日本のありようは、お金出して聖職者?に拝んでもらう。多くの人はそれを見ているだけ。大切なのは「自分が祈る」ということ。聖職者?の仕事は、その人が祈ることを教えることにある。
その点、創価のすごさは、自分で祈っている。日々、祈っている。南無妙法蓮華経と唱えて祈りに集中する実践がある。(中身は置いといて)

②生活即信心、仏法即生活
暮らしの中に仏法がある。子育て、家庭、仕事、布教、人と人との現実の中に信仰がある。生活の中に信仰が生きる。創価は言う。「難を乗り越える信心」「一家和楽の信心」「幸福をつかむ信心」それはそのとおりだと思う。

③多様な人との出会いの場があること
老若男女。仕事も職種も違う人が、頻繁に出会って座談会など活動していること。いまの日本で、職種、生活環境の異なる人との出会いの場、コミュニティはきわめて大切。守り、励まし合い関係性がある。

以上3点をあげて話したのであった。しかし、もっとも枢要な一点。「自分の頭で考える」。そこが、創価に決定的に欠落している点であるが、そこは指摘しなかったけれど。