過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いわばなんでもすぱすぱと切れる「魔法のナイフ」のようなもの

テーラワーダ仏教の僧侶、スリランカスマナサーラ長老にお会いして39年。
そのときは、子育て中のお母さんたちの集いのようなところで、仏教を教えていた。はじめてそのお話に接した時、私には内容はまったくわからなかった。
ただ、赤ちゃんや幼児と楽しく遊んでいる姿は、すごいものだなあ、たいしたものだなあと感心していた。子どもが長老の肩の上に乗る、頭の上に乗る。となりには赤ちゃん。そういうなかでの説法だった。
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その教えの基本は、仏教の基本である「苦集滅道」にある。それは、いわばなんでもすぱすぱと切れる「魔法のナイフ」のようなものだ。何冊か本もつくらせてもらった(「原訳 法句経入門」「ブッダの教え一日一話」「スマナサーラ長老の仏教塾」など)。
いちばん最初の企画は、宗教評論家のひろさちやさんとの対談であった。25年も前のことだ。これは、完全原稿まで持っていったが、ひろさんのほうから「出したくない」ということで、おじゃんになった。まぼろしの原稿が、残っている。
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初めての出会いから、40年ちかくたち、過疎地の山里暮らし、子育て、仕事、いろいろ体験して、スマナサーラ長老の教えは全くぶれていない。さすがだなあと感心する。
YouTubeで、たまにその説法をきかせてもらう。先日、聞いた話で印象的なのはこういう話(池谷ふうに要約している)。
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①獲得しようとすると逃げられる。獲物は必死で逃げる。トラがウサギをを捕まえようとすると、逃げる逃げる。
②獲得しなくても、手が届くところにある。すでに得ているものがある。身についたもの、能力は逃げない。それを獲得する必要はない。メンテナンスは必要だが。
③しかし、その能力を他人に示そうとするとみっともない。「とても気持ちが悪いもの」になる。(ここ、池谷はその傾向にあるので要注意)
④すべてのものは離れていく。自分の財産、自分の家、自分の子ども、みんな離れていく。自分の体すら離れていく。からだらにはからだの勝手があるからだ。
⑤だからものごとに執着しないこと。