過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

やっと本決まり。春から動き出す

この3年間は、縁あって介護施設を経営。ド素人からのスタート。申請まで半年。介護保険の仕事だから、書類が山ほど。また、地主との土地の購入とか、いろいろ障壁が立ちはだかる。が、なかなか学びがあって、おもしろかった。

しかし、妻のほうは事務処理がたいへんだった。そして、手術・療養もあって、事業は閉じることにきめたのが、昨年の6月。正式には12月20日で廃業。残務処理、まだいろいろあるんだ。
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「昔ついた餅をつく」ということで、編集の仕事に入るか……。そう思っていたら、ありがたくも、大手の奈良の大寺院(総本山)の二か寺から「出版してもらいたい」という依頼があった。企画から執筆、印刷、そして出版社に渡りをつけるまでの仕事。ありがたいことであった。

そして、すばる舎さんから連絡があった。ぼくの書いた原稿をネットで読んでくれて「本にしたい」と連絡があった。途中挫折しかかっても、しっかり尻を叩いてフォローしてくれた。その後、婦人公論とか宝島とかNHKにも段取りしてくれた。

自分で書いたものが本になるのは、ありがたい。やがては自分が書きたいものが本になって、それが売れるとなったら、最高の人生である(まだ実現してないなあ)。

というわけで、自分の世界は、Facebookなどで書きためて、いつか整理して本にしたいと思いつつ。当面は編集の仕事に進んでいくことになる。
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フリーの編集とかライターの仕事には、いろいろなパターンがある。

編集なら、いろいろごちゃごちゃ原稿をまとめて整理してリライトして形にするという仕事がある。デザインして版下まで作る。難しい医学書なんて作ってきたのだった。仕事をくれた親友のMさん、ありがとう。

ライターなら、定期的な月刊誌に執筆とか取材の仕事がある。あるいは、こんな人にインタビューしてまとめてくれということもある。東京時代には大きな宗教団体の機関紙の取材をさせてもらってた。いろんな人に出会えてとても楽しかった。
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でも下請けじゃなくて、企画するのがおもしろい。
ただこちらは版元ではないので、決められないのが難しいのだ。

順番はこうだ。企画書を出版社に持ちにもちこんで、「いいねやりましょう」ときめてもらう。次に、著者に持ち込んでオッケーもらう。そして、書いてもらう場合もあれば、こちらでインタビューして書いたりもする。印税は半々とかその状況に応じて。

この企画はいいと思って、企画書を書いて原稿を添えて出版社に送ったとする。
で、だいたいみてはもらえない。

ある出版社は、編集長に電話して、オッケーもらって原稿を送ったが、なしのつぶて。「どうなりました?」と電話したら、「原稿?どこかにいっちゃった。ごめん」ということもあった。

版元に強力な編集者、あるいは社長と親しければ、電話で話してその場でオッケー。早くていい。

だが、親しかった勇壮な社長に電話しても、「こないだ脳梗塞して、もうさっぱりわからん。だれそれに言ってくれ」なんてこともあった。

ある出版社の社長からは、
「今月の売り玉がない。なにか、すぐに本にできるものないか」
とよく電話があったりした。出版して配布、返品の山、そして出版して配布という自転車操業

結局その会社は、心筋梗塞でばったり亡くなった。そして自己破産した。しかし、本の社員がクラウドファンディングで立ち上げて、新会社で動き出している。
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なにしろ、編集を離れて10年余。みんな世代代わりをしていて、こちらは山里暮らしと子育てで東京に行く機会もない。

さてしかし、動かなくちゃならん。ということで、ぼちぼち企画書を書き出している。
ある出版社は、企画してから決定まで一年近くかかった。編集部内での会議、編集長の決定、販売との会議、取締役との会議と、時間がかかる。

で、やっと本決まり。春から動き出す。動き出したらしっかりやらなくちゃいけない。ひとつ動けば、そこからまた動き出す。しかし、先のことはわからんのだなあ。