過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ナマで話を聞くというのは、映像とは違う。いきいきとした体験として響くものがある。

東京に40年暮らしていたのに、いまおもうと随分ともったいなかった。大学はとんど授業に出なかった。サラリーマン時代は、仕事ばかりで余裕がなかった。毎日、最終便で帰るような日々があった。土日も出勤とか。電子部品と磁気記録媒体のメーカーだったから、文化的な話はあんまりなかった。

会社をやめてフリーになってから、時間だけは余裕が生まれた。
国立市に20年くらい暮らしていた。公民館も活発。ちかくに一橋大学や国立音大、そして、津田女子大や武蔵野美大農工大も東京外大もある。しかし、そこにいくことはなかった。
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あるとき、ふと公民館に行くと、内山節さんの講演会があると張り紙があった。
ふーん、哲学者って、どんなひとなんだろう。ひとつ参加してみるか。
出かけてみた。小さな集会所で聴衆は30人くらい。
内山さんが地味に入ってこられて、ぼそぼそと話しをされる。

うーん、つまらないかもしれないと思いつつ、よく聞いていると深い味わいがある。お、田舎暮らしをしているのか。それで、大学で哲学も教えている。田舎では、みんなで餅つきするとか、帰宅すると玄関前に野菜が置いてあるとか、まあそんな話に興味が湧いてきた。いまおもうと、これが山里に移住するきっかけだったのかも。
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それから、次々と公民館の講座に出た。けっこうすごい講師が無料で公演されていた。しかも参加者は20名くら。ジャーナリストの堤未果さん、「世界がもし100人の村だったら」の訳者池田香代子さん、谷根千の発行者、森まゆみさん。「女性の品格」の坂東眞理子さん。

さらには、一橋大学でもいろいろ講演会があった。2ちゃん時代のひろゆき、数学者の秋山仁義、「バカの壁」の養老孟司さん、ケルン放送交響楽団首席オーボエ奏者 宮本文昭。家から歩いていける距離で、そうしたレベルの人たちが来てくれた。

ちょっとクルマで出かければ、津田女子大。詩人の三宮麻友子さん、アーサー・ビナード多摩美大では、中沢新一小沢昭一の対談が聞けた。これはじつに貴重は楽しいやりとりだった。
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国立音大では、毎月、コンサートに出かけた。無料でホールもコンサートの質も高かった。マタイ受難曲など、ドイツ語の歌詞を字幕スーパーで流してくれたり、いろいろ解説してくれるのもよかった。

やはりナマで話を聞くというのは、映像とは違う。いきいきとしたものが伝わる。体験として響くものがある。人柄のいったんがわかる。

こんなふうにして、せっかく東京にいるなら、公民館や大学など、どんどんと聴講に行けばいいのだ。だが、そんなことがわかったのは、40代も後半からだった。

学ぼうと思ったら。公民館、文化講座にいけばいい。そこには一流の学者、専門家、体験者がいる。大学だって入学しなくても、聴講させてもらえるはずだ。
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まあしかし、東京から過疎の山里に移住して、そういう機会はまったくなくなった。何しろ駅まで往復100キロ。3時間もかかる。気軽に行けない。そして、そういうレベルの高い文化人、知識人は、なかなかやってきてくれない。

まあ、自分ではそういう時代は終わって、暮らしそのものから学んでいく。座学ではなくて、体験から学んでいく。そして、有名とか、文化人とか知識人とかじゃなくて、普通の人の暮らし、人生がおもしろい。日常の暮らしがおもしろいというところだ。