過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ゲームに必要なことは3つある。「1つは、敵と味方がいる」「2つは、ルールがある」「3つは、始まりがあって終わりがある」

「おとうちゃん、戦いごっこしよう」
──よしきた。

よくプロレス技をかけあう。
イノキ・ボンバイエ! との掛け声で戦う。
大外り、ウェスタン・ラリアート、パイルドライバー、アリキック、クロスチョップ、十六文キッキ、脳天唐竹割りと次々とワザを繰り出す。
ついには、袈裟固め。ワンツースリー。

「おとうちゃん、く、くるしいーー。それ卑怯だ。反則だ。ルール違反だ。だって、お父ちゃんのほうが大きいんだから、上に乗られたらあかりは不利でしょう。」
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──なにいってるんだ。そんなルールはないよ。ルールを守るためには、合意が必要なんだ。上にのったらダメというルールがあるとしたら、二人で合意してから戦わないといけない。

そんなやりとりをしている。

──これはゲームなんだ。ゲームに必要なことは3つある。「1つは、敵と味方がいる」ということ。「2つは、ルールがある」ということ。「3つは、始まりがあって終わりがある」ということだよ。
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まあ、そんな新年である。
はて。こうしたことを言う自分の根拠はどこから来ているのかなあと確認していたら、サイエントロジーの「思考の原理」から来ている。で、調べてみた。

サイエントロジーは、トム・クルーズなどが生き方の基礎にしているものの考え方。かれが来日した時、安倍首相に、ロン・ハバードサイエントロジー創始者)の本を渡していた。だが、ドイツなどでは布教が禁止されている、ちとアブないとみられている宗教団体でもある。

ただなにかを信ずるという宗教とは違い、ものの考え方、思考法を整理させ、バグ(脳細胞のシステムの不具合)があれはそれを解除するみたいな手法がある。

友人がサイエントロジーセミナーを莫大な受講料(別荘一軒分)を払って受けていたのだが、途中で挫折してしまった。もったいない。かれがもっていた本を譲り受けて読むようになった。思考の整理に役に立つ。
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「人が勉強をあきらめたり、混乱したり、学ぶことができなかったりする唯一の理由は、その人が理解していない単語や語句を通り過ごしてしまったから」と述べられるむ。

で、大切なのは、まず「言葉の概念をはっきりさせる」ところからスタートする。

インド哲学とも通じる。ワーナー・エアハードらがはじめたアメリカの自己啓発セミナーの源泉のように思うこともある。

たとえば、ゲームについて、「思考の原理」から抽出してみる。なに言っているのか難しいが、ぼくにはなおもしろい。以下、いくつか適当にあげてみる。
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存在(アペアレンシィ、リアリティ、生存)には三つの状態がある。
これら三つの状態が、人生を構成している。
それらはBE(~である状態、~になる状態など存在状態)、DO(行なうこと、すること)、そしてHAVE(持つこと、所有すること)。

人生というのはゲームにたとえると、最も良く理解できる。人生に深く入り込んでしまったり、生活の中にどっぷりと埋もれたりしないで、人生の外側にたってみるなら、人生というのは私達にとって、ちょうど私達が今いる地点から、何かのゲームを見ているかの如くに見える。
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人生の中に存在しうる苦しみ、痛み、悲惨、悲しみ、そして労苦の数々にもかかわらず生存する理由というのは、人がゲームをしなければならないのと同様の理由からなのだ。すなわち、このゲームというのは「興味」「闘争」「活動」および「所有」のために行なわれるのです。
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人生というゲームは「HAVINGNESS」(ハヴィングネス)へ向けて、「DOINGNESS」(ドゥーイングネス)を達成する為に「BEINGNESS」(ビーイングネス)を選択するという事を要求する。
これらの三つの状態は、人生にかかわるところでは、優先順位が与えられている。BEたる能力は、DOたる能力より大切であり、DOたる能力はHAVEたる能力より大切なのだ。
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いろんなゲーム(戦い)の要素(要因)を研究すると、私達は自分自身がこの人生の要素を所有しているのに気づく。人生は一つのゲームなのだ。ゲームというのは、自由(FREEDOM)、障害(BARRIERS)、そして目的(PURPOSES)から構成されている。自由は、障害の中に存在する。障害だけの状態と同様、自由だけの状態というのは、ゲームが存在しない状態のことだ。
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人間は、あまりにも多くの障害に縛りつけられているがために、自由というものにあこがれる。しかしながら、完全なる自由に入り込んでしまうと、人は目的を持つこともなく、みじめなものなのである。
障害の中にこそ、まさに自由は存在する。もし、障害のことも自由のことも知っていたなら、そこには人生も生活も幸福も、そしてゲームも存在しうる。
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そして。こういうことを述べてもいる。

愚かさの上にのっかっているのが戦争であり、この愚かさこそが我々をすべての最終戦争へと導く。この地球上にある真の野蛮性というのは、愚かさのことだ。無知の黒いがらくたの中でのみ、イデオロジーの分別のない闘争が繰り広げられる。

無知な人々は、無知な支配者を選ぶ。そして無知な支配者こそが戦争へと導く。そして今度引き起こされる戦争というのは、その後の地球に永遠なる沈黙をもたらす。

あなたたちの仲間や彼らの家、子供、所有物、そして彼らの将来のすべてが放射能に汚染された街路で終わりをむかえ横たわる時、私達にはもっと一生懸命働けば良かったとか、私達の議論にもう少し慎重であれば良かったと悔やむような時間は残されていない。