過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

聞いてきたときが旬のとき

聞かれたときが旬。

そのとき、ぱっと画像と映像で見せられる。それが、ネット時代のすごさだ。
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あかりが名文を音読していて、ざくろという言葉が出てきた。
ざくろってなーに?」

──果物だよ。赤くてね甘い。ほら、こんなにきれいな赤い果物だよ(Googleの画像検索で示す)。半分に割ったとき、ツブツブがあるよね。これはみんな種。これを食べるんだ。

「へええ、赤くてきれいだね。種を食べるんだ。種を食べられる果物ってめずらしいね」

──そうだよ。種なんだね。食べられる種は、たとえば、ほらブルーベリーも一緒に食べてしまうし、カボチャの種なんかフライパンで炒ればおいしそう(Googleの画像検索で示す)。

そういえば、お米っていうのは、あれは種なんだよ。もみがらでとっておけば、来年、苗になる。そして成長してまたたくさんのお米ができるんだ。
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「さあ、いまから教えるぞ。しっかり勉強しなさい」というのではなくて、聞いてきたときが旬のとき。
即座に画像で見せられる。
そして、映像で見せることができる。百聞は一見にしかず、だ。

もちろん、そういう学習も大切だが、体験するのもはもっと大切。あとは、友達とのコミュニケーションだなあ。親子だと、どうしても甘えがでてくる。おとうちゃんのシツケなど、ぜんぜん効かない。
ただ、お父ちゃんのやっていること、言っていることは真似している。