過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

おお。これはもしかして、江戸時代の古文書じゃないか

「おお。これはもしかして、江戸時代の古文書じゃないか」

そう思われるものが、襖の下からでてきた。でてきた。
なにしろ古文書なので解読は難しい。
が、ほんのすこし見たところが、「味方の軍は敵方塀を囲んで……」と読めるではないか。

ということは、これはもしかして、かなり古い江戸初期。もしや戦国時代のものかもしれないぞ。あるいは、「太平記」の写本とか。
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古民家から要らなくなった古材をいただいてきた。障子とか引き戸のたぐいだ。
ゴミ処分の箱の横においてあった。そのまま、リサイクル業者に処分されてしまうところだった。

何に使うというアテはないが、もったいない。うちの保管庫の貨車の中で保管しておくつもり。なにかの役に立つ。

襖は3枚ばかりあった。「これは、あんまり使いようがないなあ」と持っていくつもりはなかった。でも、「まてよ」と思い、すこし剥がしてみた。すると、でてきたのだった。
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古文書は襖の下に貼られていることが多い。和紙は強度があるからだ。こうして帳簿、手紙類などは活用されてきた。

明治になると、襖の下張りに新聞などが使われる。数年前に見つけた襖には、戦前のロンドン軍縮会議とか南京陥落とか、せまりゆく戦争の様子が報道されていたものだった。

かつて「北遠歴史研究会」というものを立ち上げて、しばらく学習会をしていた(この集いは、また来年から再開)。

それが新聞に報道されたとき、近所の方が訪ねてきて「うちの襖に古文書があって、国学院の学生たちが一年かけて整理してくれた」と目録を持ってきてくれた。

その家は、児玉党の子孫であった。平安時代後期から鎌倉時代にかけて武蔵国で割拠した武士団の一つだ。
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このように襖の下張りに、幕末の志士の手紙とか、ときには日蓮の弟子や檀越に与えた手紙の真筆とかかが出てくることもあるんだ。

まあ、そんなこともあるので、これからじっくり襖に水をかけて破れないように剥がす。ゆっくり乾かして、閉じた穴ま大きさを分類して、整理していこうと思っている。

すごいものがでてくるのかもしれないし、たんなる借金の帳簿だったりするかもしれない。