過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

変化に遊ぶしかない放浪が続いた

「考える」ことは大切。だが、考えて行動すると勢いがそがれることがある。はからいが生まれて、エネルギーが滞る。躍動しない。伝わらない。重たい。そして疲れる。

でも、がまんして頑張るというパターンで生きてきた。で、どうもうまくいかない。自分の人生を生きている感がない。

で、そんなありようが外れだしたのが、30の後半〜40くらいかなあ。会社をやめてしまって、インドを旅したのが大きい。13回も行ったよ。

かの地は、それこそ次から次へと、驚くようなことがやってくる。考えて行動したら、うまくいかない。ひらめきで動く。すると予期しないおもしろい道が始まる。変化に遊ぶしかない放浪が続いた。そんなありようが身についてきた。
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そして、もうひとつ、仏教を学んできたこと。仏教は膨大な経典があり、複雑に宗派があり、難解な教義がある。

けれど、仏教とはつまるところ「いまという瞬間を生きることにある」とつかみだした。どこにあっても「いまここ」にあるしかない。いまやるべきことを、ちゃんとやる。よく考えてやるというよりも、よく気づいてやること。

そもそも、先のことはわからない。条件というのは刻々と変わる。自分の心も、相手の心も変わる。時代の状況も変わる。考えて行動すると、変化に対応できない。そんなことがわかりだした。

テニスや卓球をやっていて、玉がどこに跳んでくるのかわからない。玉の角度とか位置関係など考えていたらついていけない。やってきた玉(変化する現実)を打ち返しかない。ダンスするしかない。
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ひらめき、偶然性、思いつき、やってみたいなあという情動にまかせたほうがうまくいくようだ。そこに、あんまり忖度とか相手の事情とかは入れない。

仏教の教えは「因果」というよりも「縁起」だとらえている。ものごとは、すべて縁によって起こる。なので「縁」におまかせ。やってきた縁におまかせ。なりゆきにおまかせ。
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ちゃんとした会社をやめて、あてもなくフリーになった。思いつきでゼロから編集を始めた。仏教の本を企画した。うまくいかなかったけど、そのことでまた道がひらけた。医学書をやらないかと親友のすすめに応じて、専門外なのにつくりだした。

そのうち、田舎暮らしをはじめた。NPO法人を作った。デイサービスを経営することになった。

62で結婚して子育てをはじめた。子どもは小1の夏から学校に行かないといいだした。ああ、それもいいね。こちらは深く考えてはいない。みんな縁におまかせだった。

ということで、いつも先のことはわからない。来年のことはわからない。蓄えがあるわけではない。もちこたえられるのかどうか、わからない。薄氷を歩む人生。なんだけれども、そのスタイルで生きてくしかないのだ。